見出し画像

不登校という言葉の違和感

例えば「学校に行かない選択肢」を不登校とする。
子どもたちの中では今だに不登校が
マイナスな言葉のように発せられる事が多い。

ジェンダーレスだエイジレスだと叫ばれる世の中を
生きる世代の者たちが、
なぜその意識なのだろうか…

「多数がえらい」

その価値観は消えることがないのだろうか…
少数を尊重したいとも思わないが、
あまりに多数が偉い世の中は、
こんな大人の私でも時々疲れる。

行くことがえらい。
働くことがえらい。

出来る事がえらい。
かわいいがえらい。

そんな価値観がなくなれば、
みんな小さな幸せに気づけるのだろうか…

一重で細い目が嫌いで
笑わない女の子がいた。
彼女は学校がとても嫌いだった。

整形をしてニコニコ笑うようになって
毎日学校へ行きバイトへ行き楽しく暮らしている。

良い事だと思う。
自信を持ち、自分を好きになることは
心も元気になる。

楽しく学校へ行く彼女を周囲は喜んだ。
もちろん彼女の幸せがいちばんだ。

しかし手前には、小学校で目つきを揶揄われて
笑えなくなった過去がある。
日本では、二重はとてもえらいのだろう。
私にはよくわからないけれど、
そんな私のことを他者がわからないことと同じか。

不登校が違和感のない選択肢になって欲しい。
どこかの市長が言っていた。
どんどん世の中は変わっていく中で、
学校教育は未だに何十年前と変わらない
黒板をノートに板書している。

同じものの大量生産は
多数を生む。

それもまた私の価値観である。
言われた言葉を思い出す。
「あなたの言葉には違和感がある」

そうか。
違和感があるのは私のほうなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?