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1番目アタール、アタール・プリジオス(15)出発



 *



背を向けたアリエルを見るなり、パルムは一瞬の躊躇もなく走り出し、その背中に抱きついた。


「アーリェ!!」


そのとき、パタッ、という音がした。

パルムのズボンのポケットから何か黒っぽいものが飛び出して床に落ちた。


“本”のようだった。


それを拾ったのは、中扉で繋がった隣室からちょうど入ってきた僧侶ガロこと凛々しい剣士姿の聖剣士ロエーヌ・オットーだった。


「どうしたのですか?………あら?」


蒼い瞳を瞬かせて、彼女は拾った“本”と中に挟まっていた 栞 を師匠アタールに見せた。


「…これは、“バイモの花”の押し花だな」


栞を見ると、アタールは聖剣士と顔を見合わせて頷き合った。


「これは、あなたのものですか? パルム」


アリエルを後ろから羽交締めするように、ぎゅっと抱きついていたパルムは力を緩め、“本”を見るとかすかに首を横に振った。


「ひ、ひろた…もの。こ、こどものとき、い、いえの、ま、前におち、てて…」


「そう。誰のものかは、知らないのですね?」


「…う、うん。は、ははい」


あまり覚えていないようだ。


「これは…異国語のようですね、何でしょう?」


ロエーヌ・オットーの姿のガロは、それもアタールに見せる。


「…これは、手帳だな。それも…未開地ゼルゼの言葉で聖典の内容などが書き記されている。恐らく現地人の為に翻訳した文章や覚え書きだ。しかし、ゼルゼ語に翻訳ができるとは、博識な人物だ。私もかじった程度で読み書きはあまりできない言語だ……ん?」


「どうかしましたか?」


最後のページのところで、アタールは手を止めた。


「これは…かすれてしまっているが、名前のようだな、リ…ムー、レ…アス。いや」




「レミエラス、だよ」


アタールの後を引き継ぐようにそう口にしたのは、少年だった。



手帳を覗き込み、続く文を読み始めた。


「…レミエラスへ」



この手帳をお前に捧げる。
僕の命はもう長くないようだ。

お前は僕を恨んでもいい。恨んでもいいが、決して死ぬな。怒りは、胸に閉じ込めておけ。
お前は涙を流してもいい。流してもいいが、決して死ぬな。悲しみに、心を奪われるな。

お前の命はお前のものだ。
みっともないなんて思うな。

逃げろ。

生きることを諦めるな。

そして、決して死ぬな。
生き延びろ。

それが、僕のただ一つの願いだ。




…まるで、『贄人』にされることが分かってたような…



「読めるのか…? ゼルゼの文字を」



「…読めるし、書けるし、話せるよ。それが何?」



普通のことのように、彼は言う。


「アペル家の者は、皆分かるのか?」


「皆んなじゃないよ。…皆んな聖地メーダのパナーゼ語なら話せるみたいだけど、ゼルゼ語なんか覚えたのは俺ぐらいかな。でも、言語を覚えるのなんて、簡単じゃん?」


「アリエルさん…素晴らしい才能です。ですが、この文章はいったい…なぜ、ゼルゼ語で書かれているのでしょうか? あなたのお父さまのもののように思えますが」


「はは。なんでゼルゼ語で書いたのかは分かんないけど…たぶん落としたんだろ、間抜けだね」


「証拠はあるのですか?」


「書いてある」


「どこにです?」


「その栞の下の方、よく見て」



「ああ…」



『愛するミューとレミの為に』



こちらは、母国語で書いてある。
達筆な字だった。
バイモの押し花の栞の下の方に、まるで信念のように記されている。



「運命でしょうか…これを拾ったパルムと今、あなたは巡り会い、こうしてこの手帳も、あなたの目に触れて…」



ガロがしみじみと話す。



「…それより、急がなくていいの?」


アリエルは、亡き父の手帳から目を逸らすようにして彼女と師に言った。





夜の空には、星が光を放っている。


“運命”って何だ?


星々に問いかけるが、彼らは静かにただ微笑するだけだ。





ガロに渡された灰色の外套に身体を包み、アリエルは短くした前髪を夜風に分けさせながら寺院の裏口の門を音もなく身軽に乗り越えた。外套が蝙蝠の羽のように一瞬広がり、着地と共にすっと閉じる。
その様子を見た聖剣士ロエーヌ・オットーは、既に僧侶ではない声を彼にかけた。


「その身のこなしであれば、一通りの剣術を身につけるのに時間はかからないかもしれないですね」

「そう? 聖剣士のお墨付きなんて、図に乗っちゃうよ、俺」


さして面白くもなさそうな顔をしているのに、彼の発する言葉はいつもどこかおどけていた。
それは、真実の自分を隠す仮面のように、彼女には見えていた。


「図に乗って結構ですよ。どうやら体作りからの鍛錬はなくても大丈夫のようですね」


「なんか、怖いんだけど〜」


「どの道、鍛錬はこの町を出て落ち着いてからです。…お師匠さま。方角は、更に北ということで宜しいでしょうか?」


「そうだ。できるだけ迅速に足跡を残さぬように離れねばならない……が」


門を造作なくすり抜けた『幽体』は、ふと後ろを振り返る。


後に、ハアハアと息を切らして、寺院の敷地内をドタドタと走ってくる巨体の姿があった。


「パルムさん、急いで!」


小声で指示を出すアリエルに応えるように頷き、パルムはよっこらしょと重い身体で門をよじ登り、ドスンと門の外側に尻もちで降りた。


「大丈夫? 怪我してない?」


心配するアリエルに満面の笑顔を向け、パルムは彼にしては素早く立ち上がってみせた。


結局、連れていくことになった。


寺院に残して行くことのほうが心配の種になる。

アタール・プリジオスの占星天文学者としての見解も「不利益よりも利点が勝る」と出たらしい。


「…お荷物には違いないがな」



星の動きを一瞬だけ疑った博士の横顔に、僧侶ガロ…もとい、聖剣士ロエーヌ・オットーは苦笑する。


「私の言うことは聞いてくれますし、何よりアリエルさんの声は絶対ですから、緊急時以外は問題ないかと」



「分かっている。私の極めた学問に誤りなどあり得ない」



「ふふ…そうですね」



3人と1幽体の一行は、冬に向かう冷え冷えと真っ黒いまだ明けやらぬ空の下…。



北へ北へと、歩を進めて行くのだった。









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