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1番目アタール、アタール・プリジオス(14)帰還
*
なんだ?
いったい、なんだ?
この…どうしようもない、烈しい「心の動き」は…。
なんだ?
“時の繭”の中で、彼は両膝と両手を柔らかなその底に着き、四つん這いになったまま動けなかった。
自分の両腕が、ガクガクと震えているのが分かる。
全身が震えているのだろう。
「アリエルさん? 大丈夫ですか?」
心配した僧侶が、自らの“時の繭”を移動させ、彼の“時の繭”に接して叫ぶ。
「……ああ、ガロさん。大丈夫、だよ…たぶん、ね」
自分の父親も、また思いがけず『贄人』にされ、逃げ出した先で母親に出会い、自分が生まれた。
しかし、その自分もまた『贄人』にされた。
だから、あの家から逃げ出してきた。
そうなったのは、恐らくこの後、父親があの家に自分を連れて戻ったからだ。
戻りたくなかったはずだ。
なのに、なぜ戻った?
戻らなければ、自分がこんな目に遭うこともなかっただろう。
…なぜ?
「アリエルよ。あとは、戻ってからだ…。そろそろ『時空』も限界らしい」
アタール・プリジオスも近づいてきて、アリエルに告げた。その場で歩いたり走ったりすることで移動は可能なようだった。
“時の繭”の外側の空間が歪み始めていた。
嵐はまだホロヴィルの島を覆うように吹き荒れていたが、彼らは既に嵐を見下ろした異空間に入っており、アリエル…レミエラスの両親のいた時間軸の空間からは隔絶されていた。
元の時空間の引力に引き寄せられるように、やがて3人は、彼ら本来の“現実”に帰ってきた。
『幽体』となり、この現在において実体のないアタールは「時空酔い」することもなく、優雅に“時の繭”の外に舞い降りた。
一方で、生身の人間である少年アリエル・オットーと僧侶ファンダミーア・ガロは、“時の繭”から解き放たれるや、床の固さに慣れぬ者のように、ふらふらとよろめき、しばし声を発することもできず、近くの壁にもたれ掛かった。
気がつけば、『時空』は懐中時計の姿でガロの机の上にいて、しーんと冷たく静まり返っていた。
深呼吸をしながら、ようやくアリエルがぽつりと言う。
「…やっぱり、俺は、生まれながら、呪われてるんだ。ろくな死に方しないって、先生も最初に俺を占ったとき言ってたよな…」
「その運命は、変えられるとも言ったが?」
天才占星天文学者は応じる。
「…俺、いずれまたあの家に戻るの? 嫌なんだけど」
「お前の母の『神力』なるものが確かなものならば、そうなるだろうが、べつに私はお前にアペル家へ戻れとは言わない。お前はもうアリエル・レミネ・オットーになったのだからな」
「そうか、それなら良かった」
安心したように、少年は軽く目を閉じる。
「…眠ってもいい?…すごく眠いんだ」
「構わない。…今夜、出るんだろう?」
博士は、ガロを見返る。
「はい…そのつもりです、私も買い出しの後、少々仮眠を取るつもりです」
彼女もまだ意識がはっきりしない様子で、とろんとしていた。
そんな蒼い目の美しい僧侶に「お前は無理しがちだから気をつけよ」とアタールは声をかける。
彼女は欠伸を堪えながら「ありがとうございます、お師匠さま」と小さい声で頷いた。
…レミ。
僕のレミ…どこにいる?
お父さん。
僕の、命より大事な、息子は…どこですか?
僕から取り上げないで下さい。
僕が護るんです、護らないといけないんです!
教えて下さい!
いくら、僕が…光を失ったからといって、レミは僕の子です、僕は父親なんです。
僕が病気だから? 感染するから?
いやだ…なんで、僕は感染する病気なんかに!
お願いです…レミに…何とか会えませんか?
護ってあげると約束したんです。
約束、したんです…!
会いたい、レミ…。
僕のかわいい…。
真っ暗な視界の中で、声だけが響いている。
その声も枯れて…必死な男。
きっと、もうすぐ病気で死ぬのだろう。
光を失ったと言っていた。
失明したのか?
俺のかつての名前を叫んでいた。
父親?
…もう『時空』の旅は終わったんじゃなかったのか?
パチッ、と目を開けると、目の前に大きな男の顔があった。心配そうに覗き込んでいるが、もちろん父親などではない。赤毛のふっくらとしたこの顔は…。
「あれ、パルム…さん?」
寺院の使用人であるパルム・ラビトだった。
あまり口が利けないのと、軽い脳障害を持ったこの男は何故か彼に人並み以上の愛情を感じているらしく、こうして今も様子を見に来たようだ。側にいる『幽体』が教えてくれた。
「…アーリェ、だい、じょう…ぶ?」
「ああ、うん…ありがとう。大丈夫だよ」
かなり寝汗をかいていた。衣服が湿っている。触れてみると、額にもうっすら汗が滲んでいる。
「俺、うなされてたの?」
彼が問いかけたのは、『幽体』のアタールだったが、パルムは身を乗り出して、うんうんと激しく頷いた。
「そう、なんだ…はは、心配させて、ごめんね」
パルムに笑いかける。
「…アリエル、もう夜半だ。ガロは隣室で準備を整えて待っている。お前も支度するのだ」
「分かった」
アリエルは答え、起き上がると、パルム・ラビトを見つめて言った。
「パルムさん、俺…今から、出かけなきゃならないんだ」
寂しそうに円らな瞳が見つめる。
「また、会えるから…」
そんな保証はなかったが、そう言ってあげないとならないと思った。
「行くぞ、急げ」
アタールが、急かす。
「アーリェ! いつ、かえ、れる?」
「…分からない。ごめんよ」
彼は巻物を懐に入れ、眼鏡をかける。彼の持ち物は、それだけだ。
「アーリェ…アーリェ!」
悲痛な声だ。
なぜそこまで悲しむのか、通じ合うものがあるにせよ、深い知り合いでもない自分を、どうして?
こんなに別れを惜しまれるなんて初めてだ。
「ありがとう」
アリエルは、それだけ言って、大男に背を向けた。
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