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1番目アタール、アタール・プリジオス(18)信愛



 *


静かな夜だった。

暗躍する闇の獣を冬の三日月が支配の鎖に繫ぎ、その冷たい光の鞭で、猛る咆哮を鎮めているかのようだ。


「アーリェ…!」


階段を一段づつ、ふらつきながら降りてくる虚ろな顔の少年が目に入るなり、彼は声をあげた。

声のほうに、徐ろに視線を向けた少年は、うっすらと微笑んで、そのまま階下の床に降りた。


「…ごめんね、さっきは。驚かせて」


かすれた声を発した途端、少年はくらっと目眩を覚え、手摺りの端にバッと掴まる。


「わ、わわ! アーリェ!」


「はは、また驚かせちゃったね。ごめん、ごめん。駄目だね、俺は…」


「だ、だ…だい、じょ、ぶ? アーリェ…」


「うん、ちょっと、目眩がしただけ…もう、大丈夫だよ」


駆け寄ってきたパルムに、彼はそう言ったが、何となく俯いて目を閉じた。
パルムも出しかけた手をゆっくり下げた。


「…お、こ、おこ、てる? ご、ごめ…ごめん、ごめん、な、さ…い」


「違うよ。悪いのは、俺のほうだから…何も言ってなかったのが悪い。あなたは何も知らなかったんだから、べつに悪くない…俺が勝手に取り乱したんだ……驚いたよね、当たり前だよ。本当に、ごめんなさい」


頭を下げた少年に、パルムはもう抑えきれずに手を伸ばし、ガバッと自分の広い胸の中に彼を包み込むと、ギュウッと強く抱きしめた。
少年の頭に己れの顎を載せて擦りつけ、もう離さないとばかりに、そのまだ若く華奢な背中を固い手のひらでゴシゴシゴシゴシと愛撫する。


少し痛かったが、少年は黙っていた。
黙って…味わっていた。



なんだろう、気持ちがいい。


痛いのに、嬉しい。


込み上げてくる…。



「アーリェ、アーリェ、好き、好き…」


好き?


女の子でもないのに…それ、どういう意味?



でも、分かる。


この人は、嘘など言わない。


「…俺も、好き、だよ。パルムさん」


顔を彼の胸に押し当てて、自分から身体を押し付けるように抱きつき、アリエルは呟く。


この人は、信じられる。


自分を絶対に裏切らない、そう思える。



「…もう、大丈夫のようだね」


傍らにいた老人が言った。
小柄な準司祭は、やれやれという感じで苦笑していた。


「はい…」


2人は、同時に小声で頷いた。




その夜、2人は一緒の寝台で寝た。

狭い寝台に大きな男と、痩せて細身の少年は互いの寝息を吸うほど近く向かい合う形で、身体を寄せ合う。


「ねえ、パルムさん…、俺のこと、なんで好きなの?」



まだ知り合って、長い時間が経っているわけでもない。まだお互いのことを殆ど知らないのに、なぜ彼は自分をこんなにも気にかけて大事に思ってくれるのだろう?


こんなの、初めてだ。


家族にすら…腫れもののように扱われてきたというのに。


「…かわい、アーリェは、かわい、いから」


たどたどしい言葉で、パルムは言い、ぎこちなく微笑する。無垢な人柄が滲み出ている。


「かわいいの? はは、俺、赤ちゃんじゃないんだよ? 女の子でもないし…ねえ、かわいくない生意気なガキでしょ?」


「アーリェは、やさ、しい、き、れい、かわい、い、いい、子だ、よ…」


そう言って、パルムはアリエルの頬に軽く口付ける。なんか…くすぐったい。


「だから、それ…女の子への褒め言葉だって」


「い、いの、いいの、ほ、ほんとに、そう、な…んだから…!」


よく分からなかったが、アリエルは悪くない思いで苦笑した。



彼には、同性愛の傾向があるのだろうか?




そうとも思ったが、だから何だとも思った。

何でもいい。

自分は今愛されたい。

愛して欲しい。

誰かに熱烈に愛を告げられたい。

構って欲しい。

うんざりするくらい…愛され、愛したい!


誰かに愛されたという記憶に、殆ど思い当たらない自分がいる。


暗い部屋に閉じ込められ、隔離され、人としてではなく、贄として、生かされ、飼われていたと知ったあの日から…孤独は深まった。




「はは…俺は、神様の供物なんだ。贄なんだ。神様への捧げものなんだよ? パルムさんは神様から俺を奪うつもりなの?」



「か、かみさ、ま…蝶の、かみ、さま?」



「そうさ、主神パナタトス。生死を司る神だ。俺は神に捧げられるために、血族に死ねと言われたけどね、逃げて逃げて逃げまくって…ここまで来たんだよ。“死”から逃げてきたんだ。でも、まだ追いかけてくる…だから、今も逃げてる」



「アーリェ…」



「それでも、俺が…欲しい? 無理しなくていいよ、軽蔑したりしない。それが当たり前なんだ」



アリエルは目を閉じて、そっと息を吐き出した。



もう……十分だ。



この人からは、このたった2日ほどの間だけで、これまでの人生で愛された分よりもたくさんの愛を貰ったように思う。


この熱い幸せな抱擁から、放り出されるのも覚悟した。

大事なこの人に、無理はして欲しくない。



「アーリェは…か、かみさまの…もの、に、な、なりた、く…な、ないん、で…しょ? だ、だから…にげて、るん、で…しょ?」


「パルム、さん?」


「か、かみさまは…アーリェを、ころすの? ま、まもって、くれない、の? な、なら、ぼ、ぼく、が…アーリェを、ま、まもりたい」


「…はは。じゃ、パルムさんが俺の“神様”だね」


アリエルは、顔を紅潮させながら、自分の為に必死に喋ってくれている彼を愛しく感じた。





神聖なもののように、感じた。



「これは、あなたへの感謝と信愛の証しだよ」


アリエルはパルムのぷっくりとツヤツヤした赤い頬に、その唇を優しく這わせた。











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