見出し画像

1番目アタール、アタール・プリジオス(16)村の教会



 *



夜のうちに、レッカスール大寺院のある教区域を抜けて、隣りの教区域ウラブレル村に入った。


小さな村だが、霧が薄らぐと、のどかな田園の風景が静寂の中にだんだんと現れる。
更に奥へ進んでいくと、山肌に面した切り立った場所に古い教会が見えた。


ここまで来れば、即座に身の危険に晒されることもない。


聖剣『時空』が懐中時計に変化してしまった為、剣士は仕方なく、聖剣ではない普通の剣を腰に下げ、懐中時計は首にかけて、上着で覆った。


夜明け、間近だ。
…息が白く、視界を煙らせる。


アリエルは帽子のつばを前に引いて目元を覆い、日光が目に当たらないように備えた。



「アーリェ、アーリェ、お顔…?」


パルムが首を傾げる。


「…ああ。朝の光を受けると、目が変になっちゃうんだ、俺」



アリエルは冗談めかして言ったのだが、



「う…わあ〜っ! たいへん、た、たいへん!」



大男は、驚いて、大声をあげた。
アリエルと女剣士は2人がかりで男の肩に乗り掛かり、ようやく口を押さえる。



「…大丈夫だよ! パルムさん!」


「そうですよ、病気などではありませんよ」


「あ、アーリェ…ガ、ガロさ、ま……あっ、い、や、ロ、ロエーヌ、さ、さん! ご、ごめ、なさ…」



パルムは、慌てながら謝る。


“ファンダミーア・ガロ”は、レッカスール大寺院の僧侶である実の名。

『時空』の聖剣士としては、“ロエール・オットー”。

アリエル・レミネ・オットーの姉としては、紛らわしいが、“ロエーヌ・オットー” だ。


今後は、“ロエーヌ・オットー”と、名乗ることになる…彼女は“ファンダミーア・ガロ”の名をしばらく封印し、寺院の使用人だったパルム・ラビトにも「ロエーヌ」と呼ぶように説得し、教え込んだ。「アリエルを守るため」と聞かされた彼は懸命に間違えないように練習したのだが…。


「ごめんね、パルムさん。言い方が悪かったね…病気とかじゃないんだけど、朝の光を受けるとね、俺、目の色が変わっちゃうんだ。奇妙だろ? だからね…人に見られたくないんだ」


いよいよ東の空が赤らんできた。


日が昇る。



アリエルは村の石造りの空き家の陰に潜むように立っていた。辺りにまだ人影がないのを確かめた彼はそっと影から、薄桃色の日向へ出て、真正面からの早朝の陽光を顔に受けた。


「パルムさん、来て…」



彼は穏やかな声で、一生懸命に自分の意思を伝えようと頑張っている口の不自由な男を呼んだ。
軽く手招きする。

パルムはのそのそと戸惑いながら、日向に出た。



そして、帽子を脱いだアリエルの瞳を直視する。



ロエーヌはまた騒ぐのではないかと警戒したが、パルムは口をあんぐりと開いたまま、声すら出ないように、しばらくジッとしていた。


「…ア、アーリェ、は、て、天使…さ、ま?」


そのまま、がくんと地に膝から落ちたパルムは祈りを捧ぐように両手を合わせ、両の目から滂沱の涙を流した。



「…はは、天使なんかじゃないよ。天使なんていないんだからさ…ただの変な目の若造だよ。お祈りされても、何もできないよ」



彼は軽く伏目になり、影の内へと戻った。
すると、青白い不思議な光はその両眼から失せ、元の栗色の瞳に戻った。


「でもね…これって目立つじゃん? 見世物になりたくないからさ、隠したいんだ…分かってくれるかな?」


「アーリェ…」


「ごめんね、色々あるんだよ、これでも…」


「う、うん…わ、かた、わか、たよ…」


「ありがとう…」



お互いに頷き合うと、アリエルはパルムから見えないように、一度ぐっと目を閉じ、自嘲の形に唇を歪めた。



午後になるのを待ってから、ロエーヌとアリエル、パルム…の3人は、休んでいた空き家を出て、村の教会を訪ねた。
とりあえず、布団のある部屋でゆっくりと休みたかった。

『幽体』だったアタール・プリジオスは『水晶玉』の中に戻り、無機物として沈黙していた。



「寝てるのかな…先生は」

「分かりません、でも、きっと休息されてるんでしょうね」



名目上、姉弟である2人の会話を、パルムは無邪気に微笑みを浮かべながら、アタールと同じく黙って聞いている。


教会には、年老いて小柄な準司祭が1人いた。
準司祭は当たり前のように旅人たちに一夜の宿として、空いた一室を与えてくれた。
少し黴臭かったので、窓を開けて風を入れ、湿気を追い出した。

朝と昼は、手持ちの堅パンと水で飢えを凌いだ。

晩餐は、温めた薄味のスープと柔らかなパン、わずかだが羊の肉と茹でたニンジン、煮豆の載った皿が振舞われた。
腹の虫を鳴らしていた少年と大男は、それをあっという間に平らげる。
ロエーヌだけが慎ましく、静かにそれを味わって食した。



「…湯浴みは、するかね?」



老準司祭は、3人に問いかけた。


「ありがとうございます…。お言葉に甘えてはいかがですか?  私は最後で構いません」


ロエーヌが言うと、アリエルは首を横に振る。


「俺はいいよ。昨日、体は拭いてきたし…」


「パルムはどうします?」


「…い、いいで、す」


そう言ったものの、本当は湯を浴びたいようだ。

もじもじしながらアリエルの顔をちらちら見ている。


「…背中、流してあげるだけだよ?」



アリエルは、大きな弟に「やれやれ」とばかりの微笑を浮かべた。




だが、その湯浴みのときだ。


「やだ、やだ! やめて!」


「…俺は脱がないよ!」


「見ないで! 見ないで!! 見ないで…っ!!」


「…お願い!!」



アリエルの切羽詰まった声が狭い浴室から聞こえてくるや否や、


彼が真っ赤な顔をして、浴室から飛び出してきた。


「アリエルさん、どうしたのですか?」



彼は両肩はだけた格好で、胸元を手拭いで隠しながら、彼女の前を駆け足で通り過ぎていき、部屋にバタンと閉じこもってしまった。


………涙?



ロエーヌが浴室に行くと、パルムが裸でぽつんと立っていた。


「パルム、なにがあったのですか?」



…彼はただ呆然と立ち尽くしていて、



彼女の、問いかけに答えることは、


…なかった。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?