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僕らが海に行く理由。

僕にとっての最初の高校生といえば「はいすくーる落書」である。斉藤由貴演じる「いづみちゃん」という新米女性教師と、不良たちのドラマだったはず。的場浩司とか出てたな。主題歌のブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」が大ヒットしたことでも知られる、如何にも昭和ー平成らしいドラマ。あの頃の斉藤由貴はかわいかったですね。

昭和の高校生というのは、令和の30代後半ぐらいの風格があったと思う。当時は中学を出てすぐ働く人達もいたわけで、つまり高校生でありながら、同級生には社会人がいるという緊張感を持っていたわけだ。そして、学校では大人が作った理不尽な校則に抗って、一生懸命「ツッパって」いた。かっこいい、大人って感じがした。

あれから30年が経って、車の運転席から下校時間の高校生をみていると、あの昭和の時代のような反骨心は、感じられない。それがいい、悪いではなくて、それだけニンゲンが子供でいられる世界になったということである。だって60年、70年歴史を遡れば、もう5歳や6歳でも子守りや農作業の戦力として扱われていたわけだから、近現代の技術の発展が如何に凄まじい流れだったか分かる。

そんな中、仕事で千葉県の高校を回る機会を得た。それにしても九十九里を一人でドライブするのはとても楽しかった。海は匂いで感じるものだ。窓を開けると、潮の香りに交じって、様々なにおいがやってくる。生臭さ、何かを焼く匂い、美味しい匂い、なぜか懐かしい匂い。子供の頃、沖縄にいたことがあるからか、海の独特な匂いは、嫌いではない。でも、どこか哀しさ、寂寥感があるのも海だ。時に、無慈悲に生命を奪い取る暴力性ももっている。その不思議な力に包まれたくなって、僕はただ、海を見たくなるのである。

今回は、九十九里町から横芝光、八日市場というエリアを回ったのだが、九十九里にも色々なスポットがあるものだ。海水浴場として整備された砂浜もあるし、漁港もあるし、サーフィンスポットもあるし、子供用のレジャーランドもあれば、海が見える介護施設やパターゴルフ場なんかもあった。海ひとつをとっても、色んな人が、色んな訪れ方をしている。

今回訪れた高校は4校だった。やはり学校という所は門をくぐるのも緊張する。来客用と書かれたスペースに車を停めると、何か大人になった気がする。ダンダンダンダン、キュッキュッという体育館のバスケの音が出迎えてくれて、なんだかテンションが上がる。ドアを覗くと、短い距離を何度もダッシュする奴をやっていた。なんだか、見れてラッキーな気持ちになる。

進路指導室で話を聞く。最近は、就職組は減っているようだ。専門学校が充実しており、動物、介護、理美容、アニメ、調理、様々なジャンルがあるという。「これはいわばモラトリアムですよ」と先生がおっしゃった。そのジャンルを真剣に学ぶというよりは、就職をしないで、学生を続けたい。大学も同じようなものだ。いや、今は社会人になっても20代は似たようなものではないか。30代になってようやく自分の生き方というものが見え始める。もしかしたら40代かもしれない。

「いづみちゃーん!」と校舎から身を乗り出して手を振る、パーマをかけた不良高校生たち。あの映像をyoutubeで探してみようか。そういえば「思い出の九十九里浜」という歌があった。(Mi-Keだ!)。ビーチボーイズはたしか、千葉の房総半島がロケ地だったな。(あの時の反町隆史はまだ24歳だったらしい)なんだかアレから人間の成長も、時間も止まっている気がする。それでも、九十九里の海は、きっと変わらずに波音を規則正しく刻んでいる。僕らは、自分の存在を、その匂いと音と、そして何十億年も変わらずにある海という存在に照らし合わせて確かめている。それでいいんだと思う。

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