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朝のサーフィン。

青と赤の、米粉でつくったドーナツみたいにフワフワの、飛行機に乗る時に眠るためのマクラみたいなものを首にかけた大阪の有名な芸人が2人いて、赤ん坊でもあやすみたいに手を広げた写真の横には、もう何年も前から画面に沁みついているみたいに、万博、反対、意味があるのか、相次いで各国が撤退を表明、なんて言葉が踊りに踊っており、もうそんな記事をタップするのは時間の無駄だと思うのだけれど、そもそも土曜日の朝6時半に目が覚めた僕には、頭が正常に働きだすまでにちょっとした情報の栄養が必要なわけで、別に見たいわけじゃないけどと思いながらも、そこにある誰かの、誰かに対する、誰かれ構わない辛らつなコメントをみながら、だから何なのって思うような、思わないような曖昧な感情のままに、ゆらゆらとダラダラと仮想世界の波に揺られて、サーフィンというよりは、ただただ情報の波の上にプカプカと浮いて、流れ来るチラシのようなゴミを拾い読みしているだけなんだけれども、気が付いたら「SEKAI NO OWARI」のバンドボーカルであるFukaseが、実は壮絶な精神病を患っていた過去があるという記事に出会い、「セカオワ」で新たに動画検索をしたら、RPGという曲のミュージックビデオがでてきたので、それを早送りせずにちゃんと最後まで向き合ってみたら、その世界観の完成度に感動してしまい、時計を確認したら朝の7時になっていたけど、こんな朝の時間に、出会う必然性が何も無いFukaseやSaoriの過去になんで俺は気持ちを盛り上げているか不思議だったけど、それはある映画の発表会で、性的な描写に対する俳優側の考え方と、制作側の取り組み姿勢にズレがあって、インティマシー・コーディネーターという調整役が本来必要だとかという記事の下にあった、「セカオワ」のSaoriも小さなころに性被害を受けた経験があるという流れから、「セカオワ」のことを調べる波に乗り換えてみたら、実はその波は思ったよりもビックなウェーブだったから、僕は体を起こしてその波を乗りこなしていたんだけれども、そのうちに、なぜかもう1度、大阪の万博の記事に戻っていて、ステレオタイプな批判コメントの水しぶきに惑わされずにちゃんと目を開いて、大阪万博のホームページや動画を読んでいたら、それはかつての「万博」ではなくて、ひとつの体験を通して、この先の世界を、AIや地球や自然や文化というような、この地球そのものの方向性を形作る試みとして著名な建築家やアーティストが参加した、何か実験的な試みのようにみえて、それはそれで感動してしまい、世界が終わって、始まるのだという、妙なつながりも感じてしまったわけで、折しも会社での私の立場は、そういった、何か新しい事をやろうとしても、それが目に見えて形になる前は、旧来の体験だけで判断して、そんなことよりも今の生活を楽にしたり、給料を上げてくれという実利を上げることを主張するひとたちのネガティブなコメントに音を上げたこともあったわけで、でも実利だけを目指してしまうとやっぱり心は貧しくなってしまうから、どんなに批判されても、新しい文化の創造を提示したり、世界のおわりをいうことで、何かのハジマリを提示するような世界観ってなんて素敵なんだろうというところで、時間は7時20分になっていたから、僕は起きた。

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