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洗濯の話(長文)

数年前から、洗濯物を乾かすときは、専ら乾燥機に頼っている。
洗濯表示の確認は必須だが、お天気に左右されず、ふわふわに乾かしていただけるのは本当にありがたい。乾燥機様々である。

しかし、最近乾燥がちょっとストレスである。

その一。
上下問題。
洗いが終わり、水分を含んで重たくなった洗濯物を、その上の乾燥機に半ば放り投げる。平均身長を下回る私は、乾燥機の入り口に洗濯物を入れるとなると、自然とそうなってしまうのだ。その時に、重力に引っ張られた洗濯物は、私の腕の中からぽろぽろとこぼれ落ちる。特に、靴下やハンカチなど、小さいものこそ抜け落ちるのだ。

がっかりしながら床に落ちた洗濯物を拾い、乾燥機に入れなおす作業は、なんとも悲しい。スクワットにもなるし一石二鳥!、とか、何とか理由付けをしようとするも、こうもぽろぽろ毎日落ち続けるとため息が出るのである。

下から上にあげ、こぼれ落ちた下のものをいくつか拾って上にあげ、上にあるものを下に下げ、下にあるものを畳んで上にしまっているのである。上と下を何度行き来していることか!!

乾燥機を洗濯機の下に置けないものかと何度か考えたが、排水の関係からダメなのであろう。

乾燥機から服を取り出すとき、バスケットを併用することも考えたが、バスケットの置場所が見当たらない。
ドラム式はおしゃれだけど、蓋を手前に開けるため、より広いスペースが必要なことに今さら気がつく。考えなしで買うものじゃないと、反省しきりである。

その二。乾燥し終わった後問題。
乾燥の終わった洗濯物を、乾燥機から取り出して下におろす。この時に、靴下が仲間割れすることが多い。まるでエベレストのようにうず高くつもり、しわくちゃになり、絡まった洗濯ものから一枚一枚ほぐし、だれのものか判別し、しわを伸ばしながら畳んで、上の引き出しにしまう。
はっきり言って、手間である。

いっそのこと、畳まずに、しわしわのまま引き出しに入れてしまおう!と、思ったのだが、ある時、こどもが気を遣って山積みの洗濯物を畳んでくれたことがある。その時に、畳まれた洗濯物が、素直に嬉しかったのだ。山積みの中からしわくちゃの洗濯物を、あれでもないこれでもない、と苛立ちながら探すよりも、丁寧に畳まれた洗濯物は、だれかのハッピーな気持ちにつながるのだなと思ったのである。

畳む作業はスキップせず、畳むアクション数を減らそう。

その三。
電力消費問題。
電力の節約!なるべくエコに!と、貧乏気質から意気込んで、乾燥機に容量以上の洗濯物を詰め込むと、服がしわくちゃになり、靴下などボールと化する。これまた何とも物悲しい。ごめんね、と乾燥機と洋服に謝りたくなる。


そこで、久しぶりに浴室乾燥を使って乾かしてみた。

すると…
乾燥に数時間+α かからない!(乾燥機より短時間で乾く)
裏表をひっくり返す必要がない!(干す段階で整えられる)
しわもある程度伸びている!(これも干す段階で整えられる)
絡まった洗濯物をほぐす手間がない!
畳む作業が楽!

幼いころはいろんなものを手に触れることが大事、と言われたけれど、洗濯物にも同じことが言えるのではないか、と思う。やっぱり、一枚一枚手に触れることが大事なのだ。手で触れることで、気持ちがこもる。責任感が生まれ、適当にはできなくなる。たかが洗濯物、されど洗濯物である。


乾燥機という力強いサポーターがいてくれることに感謝しつつ、繊維に手を触れて布目をなおしたり、こどもの成長を感じたり、ほつれや穴に気がつくことはたいせつなのだなと思う。

残る課題は、浴室乾燥の空間をいかに活かすか。
また、乾燥後のバキバキ具合がこどもに不評である。
さて何を優先するか、悩みは尽きない。