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統合失調症のご近所さんに悩まされる同僚

アートの展示会や映画の話をしても、日本で同じものが観られるわけではないし、恐らくフランス映画の強力なファンはいないのか、特に映画には「スキ」がつきにくいことがこの3週間強でわかったので(それは私がフォローをしている人の数が少なすぎるせいかもしれないので、素敵な文章を書く方をもっと見つけてフォローせねば、と思っているがなかなか時間がない。。もっと書く頻度を落とそうか。。)、今日は趣向を変えて、私の隣に座る同僚の話をしようと思う。

その同僚は50代前半で、高校生の息子が1人いる。ミラノ近郊の町で旦那と3人で広そうな家に暮らしている。今回の主役は、2階上の屋上階に1人で住む40歳の女性だ。
この女性(Aさんとしよう)はどうやら子供の頃から酷い統合失調症だという。40歳ではあるが、未成年(イタリアでは18歳から成人)の頃に父親にこの屋上階の家を買い与えられ、同僚夫婦が家を買った約20年前には、既に1人で住んでいたという。
イタリアでは下手をすると同棲・結婚するまで実家で過ごす人も多く、日本のように大学生から独り暮らし、社会人1年目から独り暮らし、という話はまず聞かない。社会人になっても、家が広いせいか家賃が高いので、30を過ぎた頃までは高い確率でシェア暮らしが多い(町によって差異があるので、ミラノについてのみ語る)。
そんな中なぜ、Aさんは未成年のうちから屋上階の広い家に一人で住んでいるのか、それには訳がある。

Aさんの母は早くに亡くなり、兄が1人いる。ただ、病状が悪化すると、彼女には台所を燃やす恐ろしい癖があり、実際、複数回実家の台所を燃やした後、父も兄も怖くなり、お手上げのしるしに一人で少し遠くで暮らしてほしい、とこの家を買い与えられたそうだ。裕福な家庭ゆえになせた技だろうが、それから二十数年、父は癌を患い、金銭面以外の援助が完全にできなくなったという。

そんな中、Aさんの病状は9月に悪化し、家で暴れて近所の人に通報され、精神病棟に暫く隔離されていた。その間、妊娠が発覚した。Aさんには6年ほど付き合っていた薬中の男性がいたそうだが、別れた後ほどなくしてアラブ系の新しい男性と交際し始め、その矢先の妊娠だという。病棟では中絶を勧めたが、Aさんは頑として産むときかないそうだ。
ここまでが先月同僚から聞いた話だった。

さて、今日の進展を加えよう。
数日前の夜のことだ。
同僚夫妻は、上階からベッドが激しくきしむ音を数時間に渡り聞いた。
同僚は旦那に「あなた聞こえる?Aが戻ってきたのかしら?」と問う。
旦那も「オレも気になってた、そうかもしれないな」と答える。
ちなみに同僚の家の上の階は空き家のため、問題の音はAさん宅のものである。

そして昨日、同僚は廊下でばったりAさんと出くわす。
同僚「あら久しぶり、退院したの?」
A「久しぶり、そうなの、私妊娠したの。産むわ。新しい彼の子をすぐに身ごもって父には散々言われたけど」
とにこやかに語ったそうだ。
ちなみに、この新しい彼は無職、イタリア語も話せないそうだ。2人はアラビア語で会話をしている、という噂があったので、
同僚「あなた、アラビア語喋るの?」
と聞くと、
A「うぅん、私、アラビア語なんて一切しゃべれないの」
と答えたという。

では一体、2人の共通言語は何なのか、と思い、私は同僚に尋ねた。
同僚曰く、どうも、彼女が発明した新アラビア語なるものがあるらしい。というのは、以前、息子が中庭で犬の散歩をしている彼女を見かけた時、ドイツ語で熱心に犬に話しかけていると聞き、後日「あなた、ドイツ語話せるの?」と聞いたところ、返ってきた答えは一緒だったそうだ。
新アラビア語、と言ったって、相手との意思疎通には限界があるだろうし、、、つまり、夜の営みが主な会話なのか、と同僚に尋ねると、「多分そう」とのことだった。
病状が軽ければ架空の言語を生み出し、重ければ台所を焼く、更には赤ん坊の泣き声が大嫌いで、以前1階の新生児の夜泣きが酷かった際、何度も怒鳴り込んだあげく、自分の糞便をその家のドアの前に塗りたくったという。

そんな状況だから、かなり高い確率で出産後に子供は施設に送られるだろうが、その日が来るまで、同僚夫婦は幾多の夜をきしむベッドの音に悩まされ、架空のアラビア語を聞き、無職のアラブ人を廊下で見かけるのだ。そしてある日突然、また台所が焼かれて窓からもうもうとした煙が出、建物全体が危険に晒されることがないことを祈りながら暮らすのだ。

それを思うと、私の住まいの悩みなど些細なものだ。
火曜の夜、ダンスのレッスンの前に一旦着替えに家に帰るが、その時間帯に上階の子供が下手なバイオリンをキーキー鳴らし、先生と思われる女性が音痴な声で歌うのだ(私は3歳から14歳まで毎日ピアノを6時間練習させられた身なので、今や月光の第1楽章すら弾けなくなったが、絶対音感がある)。下手なピアノは我慢できても、下手なバイオリンは耐え難いものがある。耐え難い時間は約30分、その後帰宅するのが夜分なので、その頃にはバイオリンの音は聞こえない。
いつもイライラして、被せるようにBachやChopinを聴いてしまうが、きっとあと2、3年後にはうまくなっているから、もう少し多めに見てあげよう、と思った日だった。

そして、嘘っぱちのアラビア語で思い出したのが、映画「Persischstunden(邦題: ペルシャン・レッスン 戦場の教室)」である。
これは、収容所送りの荷台で、パンを持つユダヤ人とペルシャ語の本をもつ空腹の男が物々交換し、ユダヤ人は殺害を免れるために自分がペルシャ人だと偽り、架空のペルシャ語をドイツ軍兵に教えて…という話である。

ポスター: Persian Lessons 

結局、また映画の話をしてしまった。
故にきっと「スキ」の数は少ないだろう。


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