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ぽかぽかの賞味期限 ③

 進む過疎化に対し、「課題が資産。どうしようが資産」と前向きに変換する浪越さん。人口減少そのものに逆らおうとするのではなく、流れにあった調和のポイントを模索していきます—

「行くな。」というほうへ

 cafe de flots が休みの日曜日。浪越さんと私は廃業した酒蔵をリノベーションしたゲストハウス 三豊鶴 へお手伝いにいきました。使われなくなったタンクの中をのぞくと、そこにはアーティストが描いた作品がありました。今回私たちが手伝ったのは、そんな美術館のような酒蔵で出されるコース料理のキッチンとホールです。2時間前に着き、オペレーションを確認し、メニューと席を覚え、ペアリングの飲み物を把握しました。…と書きたかったのですが、入ったばかりの私はてんやわんやで、沢山の方にフォローしていただきながら、気づいたら昼の部が終わっていました。

自分自身を「醸す」


 三豊鶴は三豊市で1877年に創業し、2005年に廃業するまで作られていた日本酒です。廃業になってから手付かずになってしまったこの場所は、安全性や、治安の心配がされるようになりました。取り壊しの話もあがる中、三豊に住む5人がオーナーとなり、酒造りの体験ではなく、自らがお米になったつもりで、酒造りのプロセスを体感するゲストハウスに生まれ変わらせました。例えばお風呂に入る時、服という「籾」を脱いで「精米」をします。入浴剤をいれて「麹造り」をし、その中に自分自身が入って発酵させる「醪造り」をして、最後に熟成させるために眠る「貯蔵」といったような、自分自身を「醸す」体験ができる場所へと変換したのです。

醸造していた頃の雰囲気を大切に残し、職人さんの息遣いまで聞こえてくるようだった。


タンクを覗くとそこにはアートが。ひとつひとつを見て回るのも楽しい。

左脳さんの話を聞かない人


 その日の夜。ホールで働いた方と賄いを食べました。その方は夫婦で日本一周をしていて、47都道府県ごとに地元の人に絵を描いてもらい、最後に展示するプロジェクトをしている途中でした。ここで出会ったのは、お金を貯めるために香川県で一ヶ月働いているところだったからです。「携帯の料金が厳しい」というほど、その方はぎりぎりの生活を送っていたのにも関わらず、目はギランギランに輝いていました。自分は携帯の料金には困らないけど、あんなに楽しそうにしていたことはあっただろうか。なぜそんなに生き生きとしているんだろうと思いながら話していると、「本当の自分は何なのかを考え続けている」という言葉が胸に残りました。
 私たちがよく耳にするのは、「本当の自分なんてないから、目の前のことを頑張ろう」とか「全部本当の自分なんだから大丈夫」という言葉です。「自分探し」という言葉も、時に揶揄するような響きに聞こえがちです。確かに、「本当の自分はこれだ!」と分かることは無いのかもしれません。それでも、本当の自分が何なのかを考えることを放棄することも、また違うんじゃないかと思いました。その方は、「左脳が絶対に行くなという方向へ行くんです」と言っていました。理性が止めようとする、本当はその方向に心は行きたがっているのだと。その方は次は長野に行くと言って、3日後にバンで旅立っていきました。

写真の右側の方と一緒にホールを担当した。
海のカフェで働いていたパートナーさんと一緒に、訪れたSFC生と今の活動について話している。


この地は、パラダイスではない。

 三豊市は、全国でも先端を走るような地域おこしが盛んな地域で、メディアでも取り上げられることが多いです。それでも、実際に私が感じたのは、進む人口減少の現実でした。移住してきた人も増えてはいるけれど、それよりも出ていく圧倒的な流れには逆らえない。浪越さんと共に行動し、沢山の事業者さんと出会う中で、どの人も「プレイヤーがいない」「人手不足だ」と言っていました。よく地方には仕事がないとされがちです。実はタウンワークやIndeedには載らない仕事が山のようにあるのですが、それを伝える手段や最初のカカワリシロが見つかりづらいことが妨げの要因になっています。
 さらに、浪越さんのゲストハウスクーベルで、皿を片付けていた時、地元の方に「おお!わざわざ東京から来たんか。こんな場所住めんやろ。」と言われてしまいました。「お前に三豊の何が分かるんじゃ!」と言いたくなりました。(そもそも2週間しかいない私がこんなことをいうのがおかしいけれど)この場所がいいな。と思っていた自分の感覚までも否定された気がして、とてもショックを受けました。それでも、これが地元の大多数の感覚だったということが見えていなかったと気づかされました。まちづくりに関わる浪越さんやその仲間の方たちの近くにいたからこそ、逆にこの地域に住む「普通」の人たちが三豊、仁尾をどう思っているのかまでを、考えることができていませんでした。自分は勝手にいいところだけを見つめ、盛り上がっていたんだと。浪越さんや、宗一郎さん、優さんたちは、その地域の文脈をしっかりと理解したうえで、それでも「やろう」としているからこそ、芯が通っていることを痛感しました。


料理人はアンカー

 香川の日程も、後半に差し掛かってきたころ、三豊に慶応SFCのすずかんゼミ生たちがフィールドワークでやってきました。ゼミ生の一人が、3拠点生活の地域のうちの1つが三豊だったことで、その方がゼミ生を連れてきたのです。三豊のフィールドワークに自分も行こうと慶応生に紛れようとしました。(すぐにバレましたが、受け入れてくれる優しい慶応生でした)そんなゼミ生のうち、何人かが浪越さんの施設にも訪れました。浪越さんは「料理人には責任がある。」と語ります。料理を作るためには、沢山の食材が必要です。それらを作る1次産業の方たちは、実際にそれを食べる人にそこにある物語や思いを伝えることができません。またそれらがどうやって運ばれてきたのかも知らないまま、わたしたちはその食材を口にします。浪越さんは、自分はリレーのアンカーなのだと言います。丁寧にその食材と向きあって料理し、食べていただきながら、その食材を作った生産者の言葉や、物語を伝える。料理人としての責任はそこにあるといいます。

ストーリーとナラティブの違い


 「どうして一緒に語りながら、ご飯を囲む方式にしたのか」という質問が、すずかんゼミ生から出ました。浪越さんは「ストーリーとナラティブの違いかなぁ」とおっしゃいました。私はその時全く理解できていませんでした。後で調べると、一方的に浪越さんが食材や、三豊の未来についての夢を聞かせたり、これまでの武勇伝を語るのがストーリーで、ナラティブは、その物語を創る主人公は浪越さんではなく、食べる自分自身だということです。一緒にご飯を囲み、同じ目線で話すスタイルを取ったのは、「料理人とお客さん」という関係を超えて、同じ世界を創っていく仲間になってほしかったからということです。

ナラティブとは「物語的な共創構造」である。p22

『ナラティブカンパニー』本田哲也

 あとになって本を読んで、ナラティブにはもう一つ要素がありました。それは、時間軸の違いです。浪越さんがもし武勇伝を語ったとしたら、その物語には終わりがあり、起承転結があります。一方、ナラティブの時間軸は現在進行形で終わりがありません。浪越さんが作るゲストハウスの時間も、終電を気にせず、途切れることのない時間を味わい、帰ってからも三豊と関係性が持てるような場所であるため、ナラティブに近いと、後でわかりました。(本を読むのはだいじですね。)
 食べ物を口にした人は、その食材の世界を浪越さんから聞くことで、一次産業やその流通の過程にまで意識が広がります。「食べる」という行為から、その地域の文化や歴史を知り、携わる人を想う。浪越さんは、最後に届けるアンカーでもあり、地域の扉でもあると感じました。

すずかんゼミ生がクーベルに来た。人数が少なければこのようにカウンターで座れる。




浪越さんは、さらに地域の「扉」となる場所を作ろうとしています。
続きます!


【三豊鶴のサイト】
自分自身の醸し方のイラストを見るのが楽しいです。

【ku;bel (クーベル)のサイト】
薪火の料理で、食材たちが自然に帰っていく様子が見れます。


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