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死線をさまよったことが2回ある。生き残ってしまった…。

本日のBGMはスーパーカーのスリーアウトチェンジ。もし私の葬式をしてくれるのなら、これを掛けて欲しいし、棺桶に入れて欲しいから(っ・д・)≡⊃

そのくらい永遠に好きです。

さてさて、この間変な夢を見て、もし死後の世界があって、浮遊霊になってしまったとしたら、こんな感じになってしまうのでは…と、ゾッとしたから。

私はリアルにやばいな、という瞬間が2回ある。事故とかそういうやばいのではなく、病院でAラインを使われた事が2回あるという話。
Aラインというのは、腕の点滴では間に合わず、足の付け根の動脈の血管を使うこと。
私は医療者ではないので、本当の所、正直よく分からないのだが、看護師の友達に足の付け根を使われたというと、「やばかったね。」と言われるので、そういう事だと思う。
ググるとこんな感じに書かれている。

重症管理と書かれているということは、重症だったということだと思う。

1回目は断食道場の帰りだった。
1週間断食をして、その最終日に高熱が出て下痢が止まらなくなった。病院に連れて行かれると、ノロだか、ロタ(忘れた)との診断だった。
1週間飲み物しか飲んで居ない。胃の中も腸の中も空っぽで、からだが弱りきってるところに、脱水になったのだ。
意識が朦朧とするなか、ここは宿泊施設。感染症にかかった私が滞在を続けるのは、施設にとって迷惑と考え、車で行っていたので、すぐ帰るという判断をした。
何とか運転し、高速に乗るが、お盆の帰省ラッシュにハマってしまい、車が全く動かなくなった。下痢も我慢出来ないので、1番最初のSAに寄り、トイレに行こうとした。
霧雨のような雨が降る中、トイレの目前でゆっくりとぶっ倒れてしまった。嗚呼、水便を漏らしてしまった…、という悲しき事実に抵抗出来ることもできず、ぶっ倒れてから体を動かすことも出来ず、意識が飛んだり戻ったりを繰り返した。
SAの人を周りの人が呼んでくれた。で、救急車に乗せられた。「こんな渋滞でも救急車来れるんだね…」と、周りを囲む人が言ってた声が木霊する。
救急車の中で言われた事で覚えて居るのは、「血圧、上が60」という言葉だけだった。
ググると



とあるので、危篤状態だ。死期が近く回復する見込みが薄い、容態としては危険と言えるそうだ。

「お化けのでなさそうな、できるだけキレイな大きい病院にしてください」と、救急隊員の人に言った気がする。
自分がお化けになりかかってるのに、呑気なものである。

その後の事も記憶が途切れ途切れなのだが、病院に搬送されて、躊躇なく着ていた服をハサミで全部カットされて、丸裸にされた。そして、足の付け根から点滴を入れられたのを覚えている。腕じゃないんだと思った事だけ覚えている。
便にもならない腸液を撒き散らしながら、搬送された。恥ずかしいとかそういう概念もあるわけがない。
まさにぶっ倒れた。

1日集中治療室(?)→個室→大部屋と3泊か4泊した。大部屋になって、隣のおばあちゃんがポータブルで排泄をするのがとても嫌で、早く退院したいと思った。そのあたりから記憶が普通になった。
せっかくお金払って断食道場で減量したのに、栄養点滴をぶち込まれ続け、帰って体重計に乗ったら出発前と数字が変わらなかった。
嗚呼、極端なことをするのは決していい事ではないのだ…。と悟った訳で、断食道場に行くという選択肢もなくなってしまった。ぶっ倒れた時は2回目の断食道場の利用だった。

2回目は計画的に人間やめようとした時である。いわゆるオーバードーズでこの世を去ろうと、致死量を大幅に超える服薬をした。何ヶ月も前から計画して、ある精神科の過剰に服薬すれば確実に死に至る処方薬を貯めに貯めた。できるだけ発見した人にトラウマを残さず、迷惑を最小限に…、そして自分もできるだけ苦しまず…。そして、死んだことがちゃんと周りに分かるように…。鬱で思考力が完全に乏しくなってる状態ではあったが、冷静だった。オーバードーズで眠る延長で、自分のベッドでこの世を去る。2日ほど放置されれば、この世を去った後に元夫に発見されるだろう。そういう目論見だった。祝日の連休の前の日で、翌日その翌日は元夫の仕事が休み、子の学校も休み。2人は私抜きで普段通りの生活をして、私はいつまでもただ起きて来ない。ただそれだけになるはずだった。2人が寝室で寝たあと、計画を実行し、黙々と貯めていた薬を飲んだ。薬をできるだけいっぱい飲む為に前日から食事を抜いていた。50シート位までは数えて居たのだけど、その先は面倒になって数えるのもやめてしまった。用意した物の他にも手元にあるものを手当り次第飲んで、眠剤が効き始める前に、そのゴミをそのまま捨てる指定のゴミ袋の底に隠した。バレるかバレないか…、この世を去ってから発見されるように、遺書を自分が普段使っている、財布などが入った鞄に入れた。保険証や銀行の口座を調べる時に見つかるように。そして自室のベッドへ。その眠りが永遠のものになると信じて、眠りに落ちた。
そのまま2日ほど放置される目論見だった。そうした所、私自身全く何も覚えて居ないのだけど、翌朝普通に起きて朝食を作ったらしい。そしてリビングのソファーで寝始めたと。普段では考えられないほと大きないびきをかいて、リビングのソファーで寝たそうだ。夜になってもピクリとも起きない。さすがに寝すぎている、おかしいと元夫が気がついてしまった。この世を去ってから発見されるはずの薬のゴミも、鞄の遺書も、私がまだこの世に居る状態で発見されてしまった。元夫は放置するか、救急車を呼ぶが迷い、結局救急車を呼んだ。私は全く何も覚えて居ないのだけれど、救急隊員の人の胸ぐらを掴み「やめろー」と地の底から叫んだらしい。教科書通りの事を無意識下でするのか…と、話を聞いて驚いてしまった。全く社会に迷惑をかけ続けている。ゴミ人間だ。

私はそのまま4日ほど意識を失ったままで、後に診断書を見ると、大腿動脈からの透析治療と書いてあった。やはり、腕ではなく、足の付け根を使ったらしいことが分かった。看護師の友達にその処置について聞くと、やはり「結構やばい」状況だったらしい。
私の意識は全くなかったはずなのに「会えないんだってー」ど、見舞いに来た義母が子に話しかける声が記憶に残っている。聞こえるはずのない声が記憶に鮮明に残っている。意識がなくとも前向きな声掛けを続けた方がいいとよくいうが、それは本当だと思う。もしそのままあっちにいっていたら、私はその言葉が最期の記憶になっていただろう。意識がなくとも聴覚だけが生きている状態のあることを、私は身をもって体験した。
4日後に意識を取り戻した時も、1番最初に脳が覚醒したのだと思う。そして、最初は視覚だけだった。首を動かすことも出来ず、何かをぼんやり見ては、また混沌の中に意識が沈むのを何度も繰り返した。次第に首だけ左右に振れるようになり、視覚を取り戻し、聴覚を取り戻した。断続的に何かを見て、また混沌に落ち、また何かを見て聞いて、混沌に落ちを繰り返した。
回復はそういう風な経路を辿った。

完全に意識を取り戻しても、体を動かす事は出来なかった。首だけが左右に振ることができた。
意識を取り戻した時、夜中で、ベッドが3つ並んでいる1番端に寝かされていた。隣の隣のベッドの人が死に、次に隣のベッドの人が死んだことが分かった。その2人はそこで死に、私1人が生還した。今思っても、大分境界線まで行ったのだなと思う。
首を左右に動かしていることが、看護師さんに分かり、私が意識を取り戻した事が伝わった。確か喉にも気管のチューブが入れられていた。何を話したとか何も覚えて居ない。何かの記憶が混沌の中に断続的にあるだけなのだ。
ただ並んだベッドの2人が、あー今死んだのだ、という事が周りの人の動きで、ただ分かった。

朝になり、周りが明るくなると、丸裸にされて、まな板の上の鯉状態で、シャワーで全身を洗って貰った。髪の毛も。気持ちよかった。そしてまた混沌の中に意識が沈んだ。
次に意識が戻った時、風景が全く変わっていた。いわゆるよく見た事がある、入院施設の個室で、元夫が居た。普段ほとんど喋らない元夫が「お前にはまだ生きてて欲しいと思ったんだよ!」と言われた。どうも入院施設のある精神科の内科病棟に移動したらしかった。
手足は拘束されていた。でも回ってきた看護師さんに「あなたちゃんとしてるから、精神科に行かなくても退院できるかもね」と言われた。そして手足の拘束を、「鼻がほじれるように」と最大限に緩めてくれた。その日から寝れない長い夜が始まった。
翌朝来た冴えないおばあちゃんの女医に「精神科に移動しよか」と言われ、問答無用で精神科の隔離病棟に移動した。それまでの快適な病室とは違い、洗面台と、マットレスと、ポータブルのトイレだけある隔離病棟の一室だった。
多分罰として、何の処方もされずに放置された。そこで4晩、時計もなく、処方がないので眠りも無い地獄のような日々を過ごした。運ばれてくる美味しくもない食事だけが時間の目安だった。それしかないのでポータブルの便座に座る。排便をしてお尻を拭くと真っ黒だった。何が起こったのか分からず便を見ると炭だった。胃洗浄をされ、解毒に炭を入れられて居たのだと、ようやく事態が把握できた。おしりの炭は何度拭ってもトイレットペーパーが黒いままで、拭くのに苦労した。
眠れなくなってから5日目、やっと男性の医師が来た。今もお世話になっている主治医だ。私は自分がまともだということを分かって貰おうと必死だったが、言葉より無意識に涙がボロボロ零れた。違うんだ、この涙は寝れてないからなんだと必死で訴えた。主治医は床に膝をついて、私と目線を合わせて私の様子を診た。そして、もう出てもいいからね、と、その隔離室の個室の鍵を開け、ドアを半開きにして出ていった。その日の夜、私はようやく睡眠導入剤の処方を受け、5日ぶりの睡眠に落ちた(ちなみに子犬は4日寝ないと死ぬらしい)。処罰は完了したのだ。翌日の朝、大部屋に移動になった。

という、病的にリアルにあの世との境目に2度行ったことがあるというお話でした。
どちらも殆ど直接的には自分が悪く、救命救急を妨害するなバカ!といわれればその通りだし、ほんとゴミでごめん。としか言えないんだけど、2回とも太ってたから、今の命があると思うと、この重い体にも、ありがとうと言うしかなくなる。
太る前に同じ目に遭ってたら、確実にもうこの世にはいなかった。この世に留まり続けるのは確かに苦痛の方が大きいのだけど、生きてて良かったと思えるように、毎日を過ごさなきゃいけないなと、希死念慮ともおさらばできた今思うわけです。もう自死できるほどの根性ないです。へにゃへにゃです。どうか私が認知症になる前に、日本でも尊厳死が認められるようになりますように。



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