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ライトノベルの賞に応募する(33)

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 湯川さんは床にギターを置き、一旦部屋を出て行った。僕は一人その場に残されて、さっき習った通りにギターの音を出してみる。すごくきれいな音ではないけど、なんとなく頭の中でステイゴールドの歌が流れる気がした。和音だけ弾いているんだ。ピアノをやっている僕にはそれが分かった。ギターのすべてのフレーズを再現できているわけでないけど、確かに伴奏にはなる。湯川さんが張ってくれたマスキングテープを頼りに僕はゆっくりなら一番の歌詞の部分だけ、和音を弾けるようになっている。湯川さんの説明はすごくわかりやすい。
 初めてピアノに触れた時のことを思い出そうとするけど、覚えてなかった。多分今のミワくらいの年齢の時に、母親に連れられてピアノ教室に行った。若い女の先生で、個人で教えてる人だった。ガチャガチャが置いてあって、行く度に一つコインを貰えてそのガチャガチャを回した。中には飴とかの小さなお菓子と、番号の書いてある紙が入っていて、隣にかけてあるアドベントカレンダーみたいな入れ物の中にあるおもちゃが一つもらえた。
 厳しい先生ではなかったし、怒られるということもなかった。でも最初どういう風にピアノを弾けるようになったのかは覚えていない。楽譜が読めるより先に、曲を耳で聞いて覚えて、楽譜にそれをあてはめるように楽譜を読めるようになったことは覚えている。そのうち楽譜を見るだけで曲が頭の中でイメージできるようになった。でも両手を使ってピアノを弾けると思い始めた瞬間はどうだったのか…。そんなにすごく昔の事でもないのに、具体的に思い出すことができなかった。
 部屋のノックが鳴る。湯川さんだった。
「じゃあ行こうか。」
 と、ドアノブに手を掛けたまま僕に言った。
 僕は抱えていたギターを床に置いて、湯川さんのあとに続いた。この先何が僕を待っているのか、ハジメと対面することに緊張した。案内されたのは、昨日成田さんに説明を受けた小部屋だった。湯川さんが僕の背中を撫でてくれる。
「大丈夫だから。」
 湯川さんにそういわれると、少し安心した。
 ノックをして部屋に入ると、ハジメと成田さんが壁際に並んで座っていた。湯川さんに座るように椅子を引いて促される。僕はハジメの正面に座った。湯川さんも僕の隣に座る。
 最初に口を開いたのは成田さんだった。
「ハジメ、言うことがあるだろ?」
 成田さんがそういうと、背中を丸めたハジメが頭を下げた。
「ごめん。」
 そう一言言った。警察署に連れていかれた父親の背中を思いだす。僕は姿勢をピンと伸ばした。
 成田さんが続ける。
「ハジメ、それだけじゃわからないだろ?」
「…倉庫で待ち伏せして、ごめんなさい。」
 普段とは違う消え入るような声だった。成田さんが続ける。
「ハジメ側の話は僕は聞いた、今回のことがしこりにならないように、お互いこの場で思ってることを全部言ってしまおう。そうじゃないと明日から笑顔で一緒に過ごせないだろ?」
 成田さんがそういうと、ハジメは口を開いた。
「…仲良くサッカーできるメンバーが増えたと思って嬉しかったのに、無視されるみたいでむかついた。」
「うん。ハジメいうことはそれだけか?」
「大富豪もルール覚えたばかりなのに、一日で強くなっててむかついた。」
「他にはないか?」
「入って来たばかりで、俺が誘ってやってるのに、それを全部無視されたと思ってむかついた。」
 ハジメがそう言った。
「ハジメは、シュウと仲良くしたいと思ってたんだよな?」
 ハジメは声なく、頭を縦に振った。
「シュウはどうだ?」
 成田さんが言った。
「この際だから思っていることを全部言おう。」
 湯川さんが二人にわからないように、テーブルの下で、腰に手を添えてくれていた。湯川さんを見ると、大きく頷いた。
「思っていることを言ってごらん。言わなきゃわからないから。」
 湯川さんにそう促される。
「僕は…。こういう所に来るのが初めてで緊張して…。」
「うん」
 成田さんが相槌を打つ。
「大富豪も教えてもらって、初日は負けっぱなしだったけど、でも僕なりに攻略法を考えて…。」
「うん。」
「それがうまくいっただけで…。妹のことも最初に否定されたから、それも嫌だった。」
「うん。」
「夜は妹に絵本を読んで寝かしつけをしたかったから、抜けるのは悪いと思ったけど、それを言えませんでした。」
「うん。」
「サッカーは一緒にできると思って、僕も嬉しかったけれど、やってみたら僕が普段やっている仲間とは違って…。それで一人で練習したいと思ったからそうしました。」
「うん。シュウはセレクションの話もしてやってくれないか?」
 成田さんにそういわれたので話すことにした。
「僕は普段、週に2回、そこに入るのにテストのあるサッカークラブに通っていて、ここに来る日に丁度セレクション…、サッカーのプロチームのジュニアのチームに入れるかのテストがあって、僕が通ってるサッカークラブから2人しか出れないんですけど、それに選ばれたばかりで、一緒に選ばれた友達と、その試験に受かるように頑張ろうって約束してたから、一人で集中してサッカーの練習をしたかったんです。」
「うん。」
「一緒にサッカーをしたくないんじゃなくて、そのテストに向けて、集中して練習しなくちゃいけなくて…。そのためには一人でやった方がいいと思ったから、今日は一人でやりました。」
「そのテストはいつなんだっけ?」
 成田さんに言われる。
「27日…。再来週の27日で、あと13日しかないから、僕も焦っていて…。行けるかどうかわからないけど、それまでは一人で集中してサッカーの練習をしたいです。」
「27日のテストが終わったら、シュウはハジメたちと一緒にサッカーできるのかな?」
「…。全部じゃなくて、たまにだったらいいです。」
「ハジメは今のシュウの話聞いてどう思った?」
「そんなプロのチームの試験を受けるなんて知らなかったし、俺たちと少しやってすぐ居なくなっちゃって、次の日には一人でやるって言われたから馬鹿にされたと思った。」
「馬鹿にしたんじゃなくて、テストに合格したいから専門的な練習を集中してやる必要があって、そのメニューにみんなを付き合わせるのはいけないと思ったから一人でやったんです。」
 湯川さんが腰のあたりを優しく撫でてくれている。僕は間違ったこと言ってない。
「二人ともサッカーが好きなんだよな?」
「うん。」
「はい。」
 と、それぞれ答えた。
「ここに来るまでの経験とかは、それぞれ違う。全員違う。持ってる技術も知識も違うだろう。でも一緒にサッカーで楽しく遊ぶことはできないかな?」
「やっぱり、僕は、それなりにサッカーに時間をかけてきてるし、真剣にやっています。だから、遊びでやるのとはちょっと違う…。」
 湯川さんは変わらずに僕を撫でて励ましてくれている。
「だから、僕が知ってることを教える…、っていうと偉そうになっちゃいますけど、それをわかってくれるのなら…。」
「ハジメはどう思う?」
 成田さんが言った。
「俺たちはプロ目指すほど、サッカー真剣にやってるわけじゃないし、暇つぶし…というか、運動の時間に一番楽しいからサッカーやってるだけで…。」
「サッカーでもなんでも、やっぱりちゃんと練習しないとうまくはならないと思います。」
「俺だってうまくなれるのならなりたいよ…。」
 ハジメはそうこぼした。
「でも、練習の仕方だってわからないし、サッカークラブに通わせてもらえることなんかなかったし…。」
「じゃあ、練習の仕方教えるからさ、27日が終わったら、教えるから、真剣にサッカーやってみるのはどう?」
 僕は自然と言葉が出た。
「同じサッカーといっても、二人がそれぞれ向き合い方も、現在地も違うことが分かった。シュウは自分の知ってることをハジメたちに教えてもいいって言ってる。ハジメはどうだ?」
「シュウは俺たちよりずっとサッカーがうまいっていうのは、今日見ててわかったし、練習の仕方教えてくれるって言うなら、…教えて欲しい。」
「ハジメはそう言ってるけど、シュウはどう?」
「27日のセレクションが終わった後ならいいです。」
 僕はそう答えた。
「じゃあこうしよう。27日まではシュウは一人でサッカーをする。でもそれはハジメたちを決して馬鹿にしてるわけじゃない。それは今の話でハジメもわかったよな?」
「うん…。」
「27日を過ぎたら、現状シュウの方がサッカーに詳しいから、練習メニューも含めて、シュウからみんなにサッカーを教えてもらう。」
「うん。」
「はい。」
「お互いにほかに思ってることはないか?」
「…。あの…。僕は妹のことを馬鹿にされたみたいで嫌でした。」
「ハジメはどうだ?」
「俺にも妹がいるし、でももう会ったり一緒に暮らしたりきっとできないし…。一緒の部屋に居ると聞いて、正直羨ましかったです…。」
「シュウは、今のハジメの話聞いてどう思う?」
「僕は、妹と離れるの嫌なので、ハジメみたいに離れることになったらすごく悲しいと思う。」
 湯川さんは腰を撫で続けてくれている。
「妹さんと離れてしまうことになって、悲しい気持ちになってるのに、僕はそういう気持ちを想像できませんでした。」
「シュウは、ハジメに馬鹿にされたと思っていたけど、そうじゃなかったんだって、これでわかったかな?」
「はい…。ハジメ…、気持ちを逆なでするようなこと言ってごめん。」
「…うん。」
「どう? 他には思ってることない? この際だから全部言っちゃおう。」
 湯川さんが口を開いた。
「大富豪教えたの俺たちなのに、あんなに強いのむかついた。」
 ハジメが言う。
「アレは、僕も初日に負け続けて、どういうゲームなのか頑張って考えたから…。」
「勝ち逃げされるのもむかついた。」
「それは、妹の寝かしつけがあるから…。」
「シュウは、大富豪が強いのかな? ハジメはどう思う?」
「二日目は強かった。」
「トランプとはいえゲームだから、勝つこともあれば負けることもある。強い奴は確かにいるよな。俺もやっててそう思うよ。でも真剣勝負だから面白いんじゃないか?」
 湯川さんが言った。
「大富豪がトラブルの原因になるのなら、大富豪をここでやること自体を許すか? 許さないか? って問題になっちゃうな。」
 成田さんが言った。
「えっ? 大富豪禁止されたら嫌です。」
 ハジメは泣きそうな顔で、そう言った。
「でもそれが、今回みたいにトラブルの原因になったり、嫌な気持ちの原因になるんだったら、そう考えないといけなくなるよ。」
「…。」
 ハジメは黙った。
「シュウは、大富豪のことどう思う?」
「…。僕は…。正直やってもやらなくてもいいし、別に僕は強いってわけじゃないと思うし…。僕が参加しないことでみんなが楽しくやれるなら、僕はやらなくてもいいです。」
「ハジメは、どう思う?」
「俺はみんなで大富豪やるの楽しいので、なくなったら嫌です。別にシュウにやっちゃいけないとも言わないし、強い奴は確かにいるからしょうがないと思います…。」
「じゃあ、こういうのはどうだろう。大富豪をやるときは、必ず大人の職員を一人メンバーに入れる。オトナが居ない状況で大富豪をやるのはやめる。」
「僕はそれで構いません。」
「ハジメはどうだ?」
「…。わかりました。」
「じゃあ、大富豪については、やるときにはスタッフを必ず入れるということをみんなに伝えて、理解してもらおう。明日の朝の会でその話をしよう。」
 成田さんが言った。
「他にはない?」
「…あの…。ハジメだけじゃないし、ここで言うのは違うかもしれないんですが…。」
「いいよ、言ってみて。」
 僕は湯川さんに促された。
「バカとか、死ねとか、乱暴な言葉使いを聞くのがきついです。」
「なるほど。」
「学校でもいう人が居なかったわけじゃないけど、ここで聞く回数が多すぎてきついです。」
「うーん。そうか…。それはハジメだけじゃないね。」
「はい。」
「うーん。それはすごく難しい問題だ。」
 湯川さんが言った。
「シュウにここに入るときに説明したけど、ここに来るまでにそれぞれみんないろいろな経験をしてきてるわけだ。シュウもハジメも、ここに来るまでにちゃんと学校に行けてる。そうだね?」
「はい。」
「うん。」
「でも、ここには学校にさえ行けずに、ここにきている子もいるんだ…。」
「…。」
 学校に行けない? 信じられなかった。僕は話の続きを待った。
「シュウがここに入るときに僕が説明したことを覚えてるかな? 僕たちオトナでも想像できない経験をしてきてる子も居るって話。」
「…はい。」
「ハジメはここにきて、もうすぐ一か月になるから、感覚的にわかるかもしれないけど、みんながみんな、ハジメやシュウみたいに、考えてることをそのまま言葉にできるってわけじゃない。本当はそんなことじゃなくて、他に言いたいことがあったとしても、どういっていいかわからなくて、まるで挨拶とか呼吸するみたいにそういう言葉を使ってしまう子もいる。」
「…。」
 そんなこと想像できなかった。
「学校や、幼稚園、保育園に行けないということは、他人と関わりを持つことが制限されてきてるってことだ。学校とかで、子どもたち同士、先生とかオトナとのかかわりが全くない子たちにとってシュウが当たり前に経験してきた他人とのかかわり方を全く知らずにここにきてる子もいる。そういう子たちにとって、自分の感情を言葉に置き換えるということが難しかったりする。思ってることを言葉に置き換えるという経験を全くできなかった子たちにとって、感情を言葉で表すということはすごく難しいことだし、シュウが言ったような相手が不快になる言葉でしかコミュニケーションの取り方を知らないでここにきてる子もいるんだ。」
「…。」
「確かにシュウの言う通り、他の社会の中ではよくない事だと思う。でもこういう状況で、いきなりその言葉を禁止して、そういう自己表現しか知らない子たちが委縮してしまうのも、違うと思ってる。」
 成田さんが言った。
「僕たちは、そういう言葉を使いがちな子に対して、違う言葉で自己表現ができるように、少しづつではあるけれども、会話をしたり、一緒に過ごしながら、他の言葉に置き換えができるように働きかけはしてるんだ。」
 今度は湯川さんが言った。
「でも、習慣になってしまったものは、そう簡単には補正できない。ここから出るときに、少しでもほかの言葉で他人に気持ちを伝えられるようになってもらえるよう。ここ以外の社会の中で、そういう子たちが困らないよう、訓練する場でもあるってことを、わかってもらえないかな?」
 湯川さんは優しく続けた
「…はい。」
「シュウ君が不快になる気持ちもわかる。僕もここ以外の場所で同じことを言われたら傷つく。でもここではね、そういう言葉にしかできないけれど、そういう言葉でも、僕たち職員やほかの子たちとコミュニケーション取ろうと、その子なりに頑張ってる、僕たちはそう考えてるんだ。」
「…はい。」
 僕が全然想像できていなかったことだった。
「シュウ君が不快な気持ちになってることはわかった。でもさ、これも一つの経験だと思って、そういう言葉をぶつけられたりしても、おはようって言ってるんだなとか、シュウ君とケンカしたいわけじゃなくて、その子なりにコミュニケーション取ろうと頑張ってるだなって視点で見てもらうことはできないかな?」
「…はい。僕はそういうことを想像できていませんでした。」
「すぐに全部に慣れろというのは難しいと思う。シュウ君がそういう言葉に傷つくのと同じように、そういう言葉でしか自己表現できないことがすぐ治るってわけじゃない。シュウ君の要望通りにその言葉をここで禁止するということはできないけど、その言葉で傷ついたと思ったり、落ち込んだり、マイナスに働くことがあったら、そういう話を聞きながらシュウ君の感じる不快な感情と、僕たち職員は向かい合う準備を常にしてる。だから、そう思ったら僕たちにその気持ちを伝えてもらうっていうのはどうかな?」
「…はい。」
「シュウ君はスタッフじゃないからね、だから受け入れろとは言わない。でもそういう言葉でしか自己表現できない子たちが居るんだってことは知識として知っておいて欲しい。」
「わかりました。」
「でもね、シュウはこの部屋に入ってきてからずっと敬語だ。」
「はい。」
「敬語を使えるっていうのは、自分の感情を他人に表現するのに、自分自身をコントロールできてるってことだし、敬語が使えるという日本語としてのスキルも高いってことがわかる。」
「…。」
「もし、次に、死ね! とか、 バカ! って言われた時にね、シュウがもしできるのなら、その落ち着いた視点で、僕はそう言われて傷ついたよ。不快になったよ。ほかの社会で、同じことを言ったら、言った本人の評価を下げることにつながるから言わない方がいいよ。って伝えてもらうことができたら、そういうことを言ってしまう子たちにとって、気づきの起点になると思う。シュウ自身の言葉で、そのことを言ってしまう子にシュウの方から歩み寄ってもらうっていうのはどうだろう?」
「…はい。」
「ここが、そういうコミュニケーションを、勉強するお互いの学びの場になってくれたらいいなと、職員としては思う。」
「…はい。」
「お互いの考えてることを想像して、どうして今そういう言葉になったのか、シュウの方も想像することで、この社会には自分がしてない経験や、思いを持つ人が居るって知ってもらえたり、そういう場面に出くわしたときに、どういう風に伝えたら、その人が受け入れられる言葉になるか、シュウ自身にも学びの場になるんじゃないだろうか?」
「はい。」
「ハジメは今の話聞いてわかったよね?」
「はい。できるだけそういう言葉を使わないで別の言葉に置き換えできるように、僕なりに頑張ってみます。」
「じゃあ、今日の話の内容のおさらいをしよう。シュウは27日のセレクションに向けて、本格的なサッカーの練習をしたいから、みんなとは一緒にせず運動の時間一人で練習をするけど、それは決してほかの子たちを馬鹿にしてるわけではない。27日のセレクションが終わったら、サッカーを強くなりたいと思ってる子に向けて、練習の方法なんかを教えてくれる機会を作る。間違いない?」
「はい。」
「うん。」
「今後、大富豪は子どもたちだけではやらない。やるときには必ず一人オトナをメンバーに入れる。」
「はい。」
「うん。」
「ゲームの途中で抜けるのも、個々の事情があるから、それを不快に思うようにしない。」
「はい。」
「うん。」
「乱暴な言葉使いはよくない事だけれども、そういう言葉でしか自己表現できない人がいるんだと、できるだけ心を広く持ってもらえるように、僕たちからお願いをした。それで間違いない?」
「はい。」
「うん。」



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