私は過去レイシストだった~情報の持つ思考への影響
私は今、日本人がしてきた過去の行いを誇りに思い、今の社会を成り立たせてくれてる一人一人全員に感謝している、という思考を持っている。
そして、一人一人が何を思い表現することも自由だし、強制したいとは思わない。
でも、みんなが、正確な情報に触れて、正確な大きさでそれを受け取り、正当に判断できるように、自分の頭で考えて欲しいし、自分した小さな言動含む表現したことに、責任を持って欲しいとは思ってる。
私自身も、自分の言動に、そこからへの誰かの影響に責任を持てる人でありたいと思ってる。
41年生きてきて、やっとそういう思考になった。
中3の時、祖父の参加していたロータリー倶楽部での支援で、台湾に行った。生まれて初めての海外。1週間程だったが、ホームステイもさせてもらって、現地の中学校にも行かせてもらって、高雄に観光させてもらって、そこで日本人の私が来るからと、高齢のおばあちゃんが日本語で迎えてくれた。
その時の私の歴史認識は、学校で教わっているものそのものだった。
日本は過去、台湾を統治して、植民地として酷いことをした。申し訳ない。
日本語を使うことを強要した。酷い事をして申し訳ない。
本当にそう思って、台湾に行き、そういう姿勢で台湾の人と触れた。
私のそういう姿勢に、台湾の人は、揃って残念そうだった、事を覚えている。
30年前。
まだ1994年の日本の情報の規制緩和の前。
哈日族(ホーリーズー)なんて単語もなかった(私が知らなかっただけ?)時代である。
下手に社会科の授業が好きだった事もあり「とにかく日本は台湾の人に酷いことをした」だから、申し訳ない。という姿勢にどっぷりだった。
等身大の自分で、台湾の人と接する事も出来なかったし、日本の中学生って実際こーなんだ、と私に触れてガッカリ思ってしまった人も居るだろう。
高雄でおばあちゃんに日本語で話しかけられて、「すまんっす。日本語強要してすまんす。」という姿勢だった。
おばあちゃんは、凄く嬉しそうに、久しぶりに日本語を話せる事を、日本人に触れることを表現してくれたのに、私はうまく対応する事ができず、本当に後悔している。
台湾滞在中に、台湾の人が日本の事をどう思っているのか?許してくれているのか?今の日本をどう評価しているのか?を知りたがった。
そして、チャイナドレスが欲しいという事で、相手を喜ばせようとしたけど、全て不発に終わった。
当時の台湾のロータリー倶楽部の人は、台湾のガチの金持ち。日本だと、そこまでお金持ってなくても、入れるけど、台湾のロータリー倶楽部の人はマジで本物の金持ちばかりで、ホームステイ先の家も立派だっし、年齢の近い男の子の部屋は、勉強で取った賞状で壁一面飾られていて、とんでもなく勉強してることがわかった。
私は車の知識がなかったから、教わってもその凄さがちゃんと理解できなかったんだけど、ホームステイに受け入れてくれたお家は、ボルボの台湾の代理店の代表だった。今だったら、ボルボも知ってるし、うひゃーすげー金持ちの家に来ちゃったと分かるんだけど…。
正直、台湾に行って、台北に着いたんだけど、当時の台湾は、めちゃくちゃ臭くて、雑巾を絞って生乾きにさせたみたいな臭いが常にして、あと八角の臭いが初めて嗅ぐもので、今の知識を持ってなら、あれは八角だから、香辛料の1つの匂いって分かるんだけど、とにかくきつかった。連れて行ってもらうホテルの食事は、いつも豪華で、ホテルも豪華だったけど、移動中に見る街並みには、手足がなかったり、明らかに身体障害者だと見た目で私もわかる人が、汚い格好で路上にいっぱいいて、物乞いをしてるし。道路とか交通網も汚いし、日本にもホームレスはいるけど、そこまでじゃないし、日本とは違う、格差の大きな国だと思った。
高雄に移動して、初めて深呼吸ができた。安心した。自然の中なら、あの雑巾の臭いがしない。
でも屋台で真っ黒な煮卵を見て、美味しそうだ食べてみたいと思って買って貰ったけど、日本だったらその色なら醤油の味がするはずなのに、想像した味じゃなくて、口に合わなくて、うへーと思ってしまった。今なら、お茶で色づけされてるって分かるから、また感じ方も違うと思うんだけど。
そして日本人がくるなら、と日本語で出迎えてくれたおばあちゃんに「すいませんでした」って姿勢でしか、話せなくて、嬉しそうなおばあちゃんとちゃんと人と人として、交流が出来なかった。
帰ってきて、なんで?と、やっぱり疑問は消えなかった。
日本は戦時中、世界中で虐殺行為をして、酷い事をしたんでしょ?
そうじゃないの?
そうなんだとしたら、台湾での自分の姿勢は間違ってなかったんじゃないの?
なんで受け入れられなかったの?
って思った。
そして高校生になった私は、小林よしのりに出会う。戦争論を読んで、衝撃を受けた。社会科の授業で教わってた事と全くちがうじゃないか!と。
のちの、台湾論も読んで、あー私が台湾で取った姿勢は間違った物だったんだ。とようやく理解できた。
でも高校の授業では、相変わらずの反日教育。私は拒絶反応をした。日教組の先生と思いっきり対立して、授業をボイコットしたり、馬鹿にしたり、テストの答案白紙で出して、わざと赤点取って、なんで赤点?ってことにして、私と先生だけの問題じゃなく、学校全体の問題にして、その教師の授業への姿勢を正してやろうとまでした。
そしたら、その教師は、私に10段階中の3の評価にして、私に赤点を取らせなかった。
卒業式の日に、正論(左翼雑誌)の記事のコピーを担任を通じて渡してきて、私もうそれ雑誌で読んだし、と思った。
そんな風にして、日本の本当の歴史を知った気になって、知らない人は馬鹿だと思ってたし、そういう言動をしていた。
1年遊んで、短大に入るんだけど、そこでもそういう事を言いまくっていた。歴史を学ぼうとしない人は馬鹿だ、と表現して、差別した。
それでも仲良くしてくれる友達は出来て、卒業旅行に4人で北海道に行く事になった。
みんなお金をなんとか工面して、北海道を楽しもうとしてたし、私も楽しかった。
そして、北海道の本屋の前を通り掛かり、池田大作の著作を大大的に広告するのを見て
「北海道やべーな、こんな広告馬鹿じゃねーの」と口にした。
そしたら、その中の私にとても良くしてくれた友達に
「私、創価なんだよね。」
と、静かに一言言われた。
時が止まった。
「え?」
と、なった。
短大の2年間、仲良くしてたと思ってた、私にとても良くしてくれた友達が、「創価」と2年知らなかった。
知ろうとしなかった。
私は自分の正当性を無闇やたらに表現して、撒き散らして差別してたのに、彼女は黙って目を瞑り、許して、そして、私を1人の人間として、扱ってくれたのに、彼女の信仰を尊重できなかった。
楽しく一緒に北海道を旅行してる最中に、自分の信仰を馬鹿にされて、さぞ不快だったろう。
私こそが、私が強く否定してるレイシスト(差別主義者)になっていることを知った。
そしてそれから、彼女の思想を知ろうとした。
彼女は創価の二世だった。
親が、特に母親が、強く創価信者で、週末には創価の会館に行っているのが、小さい頃から、当たり前で、彼女自身はものすごく創価を支持してるわけじゃないけど、尊重はしてること。
月に3000円、会館を使う人のトイレットペーパー代位になればと、創価に献金してる事。
選挙に投票できるようになれば、公明党に投票する事。
私を大事に扱ってくれた分、私も彼女の思想を彼女の思想として尊重し、同調はしないけれども、レイシストにならないように、言動に注意するようになった。
自分の思うことは自由だけど、それだけが正義だ!それこそが正しいことだ!と主張する事をやめた。
彼女とは卒業後も友情関係は続いている。
その仲の良かった4人(私以外の3人)の写真を2年間撮り続けていて、まだスマホもインスタもない時代。
私は、一眼レフのカメラを1台もっていて、フィルムで、日常的に写真を撮っていて、特に人物を撮るのが好きだったから、その仲の良かった友達の日常の表情を撮り続けていて、その2年間の写真をそれぞれアルバムして、卒業の時に渡したら、3人とも、ずっとそれを喜んでくれて、自分の学生時代の写真がアルバムがあるって、本当に嬉しいって、今でも言ってくれるし、大事にしてると言ってくれてる。
私は常に撮る側で、その3人の個人の表情を捉えたものを、2年分まとめたアルバムを、今も3人とも大事にしてくれている。
学生時代にまだ知り合ってなかった、自分の大事な人に、自分の学生時代を知らせる方法として、私の作ったアルバムを使ってくれてると言ってくれてる。
その創価の友達は、結婚する時に、やっぱり彼女が創価だってことが、問題になって、旦那さんは彼女と結婚するために、まともに就職して、社会人になった。
旦那さんの実家で、創価だから、と止められそうになったけど、彼のお父さんが出版物の編集者で、「創価だから」ってだけで人を判断するのはおかしい、って彼女自身に目を向けてくれて、結婚にgoサインを出してくれた。
彼女の母親は、新居に創価を信仰するための祭壇を置くことを条件に結婚を認めた。
彼女の新居にお邪魔したら、ドレッサーにしか見えない外見の、ピンクの装飾の凄く可愛らしい、祭壇が寝室にそっとあった。
私が、「〇〇に投票しろ」と言われることが嫌いな事を知ってるから、彼女は選挙の時に公明党に入れろ、とは言わないけど、1回だけ凄く最近の都議選の時に、「〇〇ちゃんが嫌がるの分かるけど、高校の教育費無償化とか、公明党も公明党で頑張ってるから、考えてみてね」って言われたから、私は公明党の選挙公約をちゃんと観て、知って、判断しようとした。
彼女は私に、創価も、公明党も、決して押し付けない。でも、私の自由意志を尊重する代わりに、自分の自由意志も尊重してね、として、個人として私を受け入れてくれて、友情関係を成り立たせてくれている。
投票行動は〇〇ちゃん(私)の自由だけど、こういう根拠で、支持できるから、考えてみてね、って情報は与えても、決してそれを強要はしない。
だから、彼女と友達でいられるんだな、と思うから、未だにたまに連絡を取るし、彼女の幸せを祈ってる。
彼女が、創価以外は認めないって、レイシストだったら、私たちはそもそも友達になれていない。
彼女が、まず私を寛容してくれたから、彼女がレッテル張りで、私を否定せず、彼女が私を寛容してくれたから、この友情は成り立ってる。
だから私もレイシストな事を卒業して、お互いの信仰の自由を尊重し合う仲間でいようと思う。
公明党だから、創価だからって、頭から否定したり差別したりせず、その選挙公約を、他の候補者と同じ視点で見て評価しようと思う。
どんなバックグラウンドでも、それだけで差別しない。知り合ったら、ちゃんと個人として向き合って、人間としてのやり取りをしようって思った。
だから、今の私がある。
台湾で変に萎縮して人としての交流できなかったのも、私の責任。
北海道で、友達に嫌な思いをさせちゃったのも私の責任。
レイシストな事を卒業して、寛容でありたい。
出会うひと一人一人を人間として大事にしたい。
私が誇りに思う日本人って、そういう事をしてきた人だからでしょ?
41年かけて、やっとそう思うようになったって話。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?