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[鳥として肉食を考える - 1] ブロイラーのために涙する人、しない人

noteを始めて間もない頃、植物性代替肉についての記事を書いた。


「集約畜産」または「工場畜産」

「noteでは基本的に堅い話は書かない」と言っている私としては、PBF記事は珍しく堅い内容であった。

同記事の中で、私は『工場畜産(Factory Farming)」と呼ばれるものの映像を見て、ひどくショックを受けたと書いた。

牛肉、豚肉、鶏肉……こういった食肉に加工される動物が、どのような環境で育てられているのか、実はそれまでよく知らなかった。
恐らく、広々とした田舎の農場みたいなところで、豚🐷が「ブヒブヒ!」と呑気に餌でも食べてゴロゴロしているのかと想像していた。

しかし、世界における畜産業は、そのような牧歌的な形態よりも上で述べた「工場畜産」に支配されている(因みに、PBF(Plant Based Food)記事を書いたときは知らなかったのだが、正式には「集約畜産」とか「工業的畜産」という言葉が使用されるらしく、そのような畜産業のあり方に否定的な人たちが「工場畜産」という言葉を使うらしい)。

工場畜産または集約畜産というのは、集約農業の一形態とされ、「生産コストを極端に抑え、生産性の効率化を最大限に追及する畜産の取り組み」とされる。

正に「工場」と呼ぶべき屋内で、大量の家畜や家禽を高密度で体系的に飼育し、人間が消費するための食肉や卵などを生産する。

工場で物を製造するが如く、採卵鶏「バタリーケージ」と呼ばれる窮屈な檻の中に身動きできない状態で閉じ込められ、卵を産むための機械のように扱われたり、家畜や家禽たちがベルトコンベアーで運ばれ、精肉とされるための各工程を経てゆくさまは、なかなかショッキングである。

このような工場畜産については、アニマルウェルフェアといった動物に対する倫理的観点、または環境への悪影響、そのような環境で飼育された動物の食肉や卵が人体に及ぼす危険性といった複数の視点からの議論が継続している(上に挙げたPBF記事では環境問題についても言及したので、ご興味ある方は数字だけでもチラ見していただければと思う)。


鳥、鶏、色とりどり


話が飛ぶ(パタパタパタ~ッ🐦🐦)が、以前と比べ、noteを始めてから鳥🐦のことを考えることが断然多くなった。

因みに、「鳥」「鶏」は以下の使い分けがなされるらしい。

「鳥」……  鳥類の総称。
「鶏」……  ニワトリ(キジ目ニワトリ属の鳥)。

「鳥肉」は、「鳥類」の肉全般を指すこととなり、食用にされる鳥類は、ニワトリ以外にもキジや鴨、七面鳥……など複数いる。
「鶏肉」は「鶏の肉」となる。

「鳥肉」「鶏肉」を含むが、それ以外の鳥の肉も含むということか。
ハチドリが焼き鳥にされてしまった場合(ピヲピヲ ToT🐦)、それは「鶏肉」ではなく「鳥肉」ということか。


採卵鶏(さいらんけい)

工場畜産の話に戻るが、卵を産むために改良された鶏は、「採卵鶏(さいらんけい)」または「レイヤー」などと呼ばれる。

『バタリーケージ』……
上でも少し触れたが、工場畜産において、採卵鶏は一羽ずつバタリーケージと呼ばれる狭い檻に身動きできない状態で閉じ込められ、飼育されることが多いらしい。
四方と天井が金網で囲まれ、卵が転がりやすいよう床に傾斜が設けられる。

バタリーケージに閉じ込められた鶏には、羽を広げるのに十分な空間がなく、つつくことのできる敷料や、巣・砂場・止まり木など、鶏の習性上必要とされる素材もない
鶏の自然な行動ができないわけであるが、これは卵の生産の効率化のため、むしろ鶏の自然な行動を極端に制限することが目的なのである。

鶏たちは強いストレスに晒され、羽毛はボソボソ、あちこち禿げている鶏も多いらしい。
病気になる鶏たちのために大量の薬がエサに混ぜられ、薬漬けになっているとのことである。

バタリーケージは、今も世界における採卵鶏の飼育で広範囲に使用されているらしいが、アニマルウェルフェアの観点から議論があり、欧米やオーストラリアなどでは、「平飼い」や「放牧」が増えているとのことである。

『強制換羽』……
また、鶏は人工的な照光を浴びて一年じゅう産卵を促進されたり、卵の大きさを調節したり、生産量を増やす目的で「強制換羽」が行わるらしい。

「強制換羽」とは、鶏に一定期間エサを与えず産卵を停止させ、人工的に羽毛が抜け始めるのを誘起するという方法で行われるということである。

「強制換羽」は、産卵を始めてから2年目に入った場合にのみ行われるらしく、「自然換羽」に任せておくと産卵時期がバラバラになって経営的な問題が出るため、一斉に人工的に休産・換羽させるとのことである。

要するに、「強制換羽」はこういう理屈であるらしい。
1. 雌鶏は飢餓状態になると産卵を止め、羽が抜け落ちる。
2. その後、羽毛が生え始めるときに「体のサイクル」として、卵を産む能力が戻る。
3. その雌鶏の「体のサイクル」を利用し、卵を産む能力が衰えた雌鶏に10日~2週間、エサを与えず強制的に羽を抜けさせ、生え換わらせて、再び卵をたくさん産めるようにする。

「絶食」の期間は、平均して「約10日」「絶水」させる場合は、平均して「約2.5日」という数字がある。

「餓死」する鶏も少なくないとか。。。

「強制換羽」は物議を醸しており、EUでは禁止されているらしい。

※※※※※

採卵鶏は、一度も外に出ることなく、太陽の光を浴びることもなく、薄暗い鶏舎の中でケージに1年半から2年閉じ込められるらしい。
そして、ケージから出られるときは、「廃鶏」として「と殺」されるとき……。
因みに、採卵鶏が「廃鶏」となるときは、すでに「食肉」としての商業的価値はほぼないとのことである。

薄暗い鶏舎、身動きの取れないバタリーケージ、絶食による強制換羽……採卵鶏の人生(鶏生?)も非常に過酷なようである。。。
「安い卵」は、このようにつくられているという話である。

今回はアニマルウェルフェア的な話を書いているが、前述のとおり、環境問題、そしてこのような状況で育てられた鶏の卵が人体に及ぼす危険性といった議論があることも重ねて申し添える。

……やばい!
「肉食を考える」のテーマなのに、「採卵鶏」のお題ズレした話がめちゃめちゃ長くなった!


ブロイラー

『アンバランスな正義感』というものについて考えるときに、ブロイラーのことを考えたりする。

ブロイラーとは、特別な鶏の名称ではなく、商業用の「食肉用(人間に食べられるための)鶏」の総称であり、短期間で不自然なかたちで急速に成長させられる。

我々が今食べている「鶏肉」の9割以上はブロイラーとのことである。

通常の鶏は成鶏に達するのに「4~5か月」かかるが、ブロイラーは正に「不自然に急速に」成長させられ、「約40~50日」で成鶏の大きさに達する。

「精肉(製品)としての出荷」として考える場合、かつては「飼育(生産)」に5ヶ月ほど要していたわけあるが、出荷期間を大幅に短縮するため、大量の鶏をわずか「50日」で出荷できる大きさに育て上げるのである。

飼育期間を短縮し、早く出荷できれば、その分だけ余計な「エサ代」が発生しない
また、胸肉など必要な部位が大きくなれば、1頭からとれる肉の量が増えるため量産が可能となる。
少ないエサでも効率よく筋肉に変換できるよう、消化や吸収をよくする。

こういった思いを実現するため、「品種改良」で生み出されたブロイラーとなる。

大量生産、大量出荷、低コスト……等のキーワードが裏に潜むわけである。

※※※※※

生産性を追求し、ブロイラーは大規模な密閉型の鶏舎の中に収容され、大勢の鶏がひしめき合って、過密な状態で飼育されるとのことである。

鶏が識別できる他の個体は数十羽程度のことだが、鶏舎の中には数万羽単位で閉じ込められており、鶏にとってこのような環境は、大きなストレスとなるらしい(まあ、人間でもそうであろうが)。

そして、ブロイラーは50日程度巨大な成鶏に達する(品種改変はなおも続き、ブロイラーはどんどん巨大化しているらしい)。

※※※※※

ブロイラーは短期間で急成長するように人工的に改良されているので、腰や膝の骨格が身体を支えることができなくなり、体を支えることが難しくなって歩行困難や歩行不能となったり、心臓疾患で突然死したりする鶏も多いらしい。

一日でも早く大きく成長するよう品種改変された鶏たちは、急速に巨大化した自分の体重を支えることができず、一度ひっくり返ると自力で起き上がれなくなったりするようである。

このほか、急激な成長により、ブロイラーは腹水症、浅胸筋変性症などを含むさまざまな疾患や肉体的苦痛に苛まれるらしい。 

ただし、健康なブロイラーが「長生き」したとして、いずれにせよ出荷までの「約50日」で 「と殺」されてしまうというのも、これまた皮肉な話であるが。

「ブロイラーは、わずか50日程度の一生のほとんどを痛みの中で過ごす」とも言われており、鶏の福祉を顧みずに効率化ばかり追求してきた飼育の結果、ブロイラーがこのような不健康な状態に陥っているという批判がある。

※※※※※

採卵鶏の箇所で、「鶏の習性」に言及したが、鶏は本来、外的から身を守って眠るため、止まり木のような高い場所で眠りたいという本能的欲求を持っているらしい。
また止まり木は、羽や足の力を鍛えるためにも不可欠であるらしい。

しかし、鶏舎の中に止まり木を設置しているブロイラー養鶏場は皆無らしく、仮に止まり木があったにせよ、(前述のように)急速に異様なまでに成長する(太る)ように品種改変されたブロイラーは、自らの体重を支えることに精いっぱいであり、止まり木に飛び上がることもできなくなる。

また衛星状態を保つための「砂浴び」についても、大量のブロイラーの糞尿で敷料が汚れてゆき、砂浴びのための材料がなくなるとのことである。
そのため、鶏たちは体を清潔に保ちたいという欲求満たすことができず、尻周りには糞交じりの汚れが黒くこびりつき、羽根も黒く薄汚れてゆくらしい。

採卵鶏が人工照射によって産卵を促進されることを書いたが、ブロイラーも鶏舎の中で一日中照明の下で暮らしているとのことである。
要するに、その方が「餌を食べて良く太る」ということであるが、鶏にとっては一時も気が休まるときないこととなる(世界では、照明を落とす「暗期」を設ける国もあるらしい)。
1日中、照明に晒される鶏は腸の機能不全を起こし、死亡率も上がるらしい。

※※※※※

ここで「工場畜産が残酷である」ということは簡単である。

しかし、「工場畜産」が残酷であるという場合、決して「工場畜産」に従事している人たちが残酷ということではなく、そのようなシステムで製造される安価な食肉(まあ「卵」の話もしたが)を欲する肉食主義者である我々が残酷なシステムに加担しているという話であると考える。

ブロイラーのような効率的で生産性の高い鶏を飼育しないと、多くの養鶏農家は生き残れないという実態がある。

市場が、肉食主義者である我々が大量生産、そしてスーパー並ぶ安い鶏肉を求めているのである。

鶏には悲しみや痛みがないのか?
当然そんなことはない。
ブロイラーは短い一生のうち、鶏舎の中で死にゆく仲間の死を悼み、自らも肉体的苦痛を感じるとのことである。

それにしても……生き物として「ピヲピヲ」と鳴いていたヒヨコ🐣たちが急速に成長し、生き物として「コケッコー🐔」となった後(実際にはコケッコーな見た目だが、雛とほぼ変わらないのでピヲピヲ鳴いているのが衝撃的であるが)、シャックルに逆さ吊りにされ、羽もすべて毟り取られ、首を撥ねられ、最後に「物言わぬ精肉」となって吊るされたまま運ばれてゆく映像は、考えさせられるものがある。。。


そろそろ記事を締め括りたい

「犬🐶や猫🐱の死」に涙して、それらの動物に対する非人道的な扱いを「残酷」と言ったりする。

普段、(私を含め)我々のうちのいったい何人が「ブロイラーの死は残酷であり、かわいそう」と感じているのだろう。
そして、実態を知ったとき、改めて「ブロイラーがかわいそう」と感じる人は、どれくらいいるのだろう。

そもそも、人はいったい、どれだけ「命」を愛おしく思うことができるのだろう。

「私、犬🐶と猫🐱が死ぬ話って、絶対見たくない! 何で、そんな残酷な話を書く人がいるのか、ホントに意味わかんない! えっ? 牛? 豚? なになに? 私は犬と猫の話をしてんのよ! ホントに意味わかんない! 牛肉なんて毎日食ってるわよ!」
「いや、ちょっと待って! 前まで私は牛と豚飼ってたし……あー、山羊も飼ってたことあるわね。ここらへんは可愛そうでしょ……って言うか、やっぱり哺乳類は諸々可哀そうなんじゃない? 猿🐒とかもいるし……」
「まあ……鳥はギリギリ可哀そうかな……」
「いやいや、鳥なんて、アタシはどうでもいいのよぉー。たとえ、ハチドリが丸焼けになろうとも……」
ピヲピヲ ToT 🐦  何を言っているのです ToT  ハチドリの丸焼きだなんて、そんな殺生な ToT 🐦 せめて哺乳類と鳥類は助けてやってください ToT」
「あのー、私……浦島と申します。年末が近付いていますので、そろそろ恒例の『亀を助けて、皆で竜宮城に行こう!キャンペーン』を仕掛けたいと思いますので……そういうことを言われるとテンションが下がるのですが……亀を入れていただかないと……哺乳類と鳥類🐦だけとは……何かと不都合が……」
「浦島さんの言うとおりね! 亀を助けて竜宮城に行って、鯛とヒラメを食べ尽くしてきましょう!」
「いえいえ、魚だって、我々の立派な仲間ではないですか! 蚊は叩き潰すし、Gは殺しますですけどね!」
「これこれ、一寸の虫にも五分の魂ですぞ……。さて、帰りに花でも摘んで帰ろうかのぉ……」
「皆さんは病んでます! すべての動物にも植物にも『命』があるのです。……ん? ……まあ、確かに私は夫殺しで刑務所から出て来たばかりですが……それが何か? 私は人間以外の生き物を殺したことなんか一度だってありませんよ! アナタたちとは違うんです!!!!」


「『食肉用』として生まれるという言葉のインパクト」

人間は地球上の他の生き物に対して、多かれ少なかれ残酷であると私は思っている。

かくいう私もベジタリアンでもヴィーガンでもなく、肉食主義者である。
ということで、他の動物に対する残酷性の上に自分の命が成り立っていると考えている。

同じことを繰り返すが、「工場畜産」が残酷であるという場合、そのようなシステムで製造される安価な食肉を欲する肉食主義者である我々が残酷なシステムに加担しているという話であると考えている。

上で述べた「ブロイラー」の話に戻るが、そもそも「(人間の)食肉用の生き物」としてこの世に生を受けるって、「生き物」として何とも凄いカテゴライズのされ方であると感じてしまう。

たとえば、空を自由にピヲピヲ飛んでいる野鳥🐦が運悪く猟銃で撃たれ、「ピヲ~ッ ToT 🐦」と地面に落下し、焼き鳥にされるという話ではない。
「ブロイラー」の命は、生まれた時点ですでに「食べられるための命」なのである。

そして、「食べられるための命」「フードロス」をリンクさせて考えると、インパクトがより大きくなる。

要するに、「もともとこの世に存在していなかった命」を人間が食べるためだけに「意図的にこの世に誕生させ、苦しませ、50日後に殺し、そのままゴミ箱に捨てる!」……。

せめて「生き物が生き抜くためのループ」の中で「食べる」という行為を通じ、「『命』が存在し、消えて行った理由」という意味付けを自分の中でできれば幾分マシなのだが、苦しんだ挙句に奪われた『命』がそのまま「ゴミ箱に直行」というのは……何だか……。。。

「ブロイラーの人生」が残酷であるという話は、ネットでよく書かれている。

私はたまにそういう「残酷」な話を読んだりするし、個人的には『読んだ方がいい』と思っている。

たとえば、「犬🐶や猫🐱が死ぬ話は残酷で嫌だ」と言う人も、「ブロイラーが殺される残酷な話」は敢えて読んでみることをお薦めしたい。

「私はブロイラーが可愛そうなので、鶏肉は食べません」という人はそれで結構だし、「そういう話を読むと気分が鬱になるんです」という方は、別に読まないでもいいけど(私の提案に乗っかり、体調崩されても困る)。

ただ「私はそういう動物の残酷な話は知りたくないんです!」と目を背け、動物の死を扱うこと(人)を残酷であると評する一方、美味しい肉🍖は食べたいです……というのは、何だか都合が良いような気もしてしまうのである。

それであれば、自分には残酷な面もあるのだということを実感した上で、他の動物の命に生かされている命であることを心の隅に留めて置く方が潔い(ズルくない)と感じるのである。

……と、まあそこらへんは個人の自由なので、別にそこまで熱くなっている訳でもないが、いずれにせよ、自分なりに肉食の問題点にショックを受けることにより、「過剰生産に加担するのはやめよう」とか「せめてフードロスは抑えよう」という自分なりのスローガンを持つきっかけになると思う。

ここまで書けば、まさか誤解している人はいないと思うが、別に私は「肉食をやめよう!」とか「食肉用動物の死に涙を流せ!」とか、そんなことを言っているわけではない。

実態を知って、「肉食」や「他の動物に対する『アンバランスな正義感』を振りかざしていないか」を一緒に見つめ直さないかい?どうだい?と提案しているつもりである。

私は次回、「肉食」を考える上で、敢えて「残酷なフィクション」を書こうと思う。

「動物が残酷な扱いを受ける話は読みたくないです!」という方は、ムリに読まないでほしい(上に「実態を知った方がいい」とは書いたが、別に私のフィクションをムリして読めという意味ではない)。

私は「私が残酷なのではなく、私もアナタも残酷なことをしているのだ」というメッセージを送りたいと思うが、届かないかもしれない……という実験的試みである。

「ハミングさんは残酷です! 病んでます!」とか言われちゃうのかなぁ。。。

『人は果たして、食肉用動物の命を愛おしく思うことができるのか?』

(つづく)


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