嫌な人の心の世界

会った後に嫌な人だなって思う人、生きているといると思います。
なんかこの人としゃべった後って疲れるんだよなという人もですね。
そういう人たちは一体何者なんでしょう。
いろんなタイプがいると思いますが、今回はその一例を書いてみます。

心に引っかき傷を残さないと生きられない

人と人が関わるところには、多かれ少なかれ心の交流があります。
言い換えると、お互いの心に影響を与えているということですね。

例えば、友達とランチに行ったとして、メニューをどうするか決めるとき。
友達は明言していないけど、パスタを食べたそうにしているとしぐさでわかるときがあります。言ってないのにね。
そんな感じで人同士は空気感を感じ取って日々を過ごしているわけです。
その感じ取った空気感は、それぞれの心に波を発生させます。
パスタ食べたい?って聞いてみようかなとか、合わせたほうがいいかなとか。
そこからはその人との関係性で変わっていくかと思います。

でですね、「心に引っかき傷を残さないと生きられない」人は、この心に影響を与えるという機能を使って、他人の心にひっかき傷をつけてくるわけです。
具体的に引っかき傷のことを表現するならば、意地悪なことや、ムッとするような言葉を、やりとりの中に織り込むんです。(これは半分意識的に、半分は癖のように無意識的にやっているようです)
それを受けた側は、一方的にガリっと引っかかれて、その人に対して注意・関心を向けるように仕向けられます。うわ、なんだこの人!嫌な感じと思う。

この注意・関心を自分に向けさせることが、その人たちが生きていると感じる手応えと言っても過言ではないように感じます。
簡単に言い換えると、幼い子どもが好きな子の気を引きたくて意地悪して、自分の方を見るようにする行動ですね。根底は似通っています。

やりとりの中で少し嫌な言葉を織り込んで、相手の心に自分の引っかき傷(痕跡)を残すことで、こういった人たちは生きているわけです。
人の心というものは、自分以外の心や感情が入ってくると、とても負担に感じます。(これが愛情や親愛ならプラスに作用します) だから嫌な感じが残る人ってすごくかき乱される感じがあるんですね。あと、人間の脳は危機に過敏に反応するという側面もあるので、とても嫌に感じると思います。

人の心に傷を残すってすごく不健康で未熟だと思います。
でも強烈で分かりやすい。
ここでいう分かりやすさは、異論の余地なく白黒ついているという性質を持っています。善は善!悪は悪!悪は攻撃してオッケー!みたいな、平面的な思考停止のような捉え方を指します。
(ちょっと話が逸れますが、この感じ、赤ちゃんの心の世界なんです。世界を初めはそのように捉えてて、でもだんだんと「違うぞ…?善悪で分けられないようだ…!?」みたいに心が育っていきます)

なんでそんなことするのか

「育ってきた中で触れていた身近な大人が、その人に対してそう接してきたから」というのが答えの一つかなと思います。
人間関係の築き方は、親など身近な大人の影響をめちゃくちゃ受けて発達していきます。
例えばテスト。満点を取らないと褒めない親と、満点を取っていなくても勉強頑張ったねと褒める親がいるとします。前者の子どもはやがて、「人からの愛情(関心)は、こちらが頑張らないともらえないのだ」と思うようになると想像できます。後者の子どもはこのようには思わずに育っていくでしょう。
そんな感じで、心に引っかき傷を残す人は、ひょっとすると幼少期から自分の心に引っかき傷を一方的につけられ続けていたのかもしれません。
その方法でしか、人との繋がりや、生きている手応えを感じられなくなってしまっていると考えられます。

最後に

ちょっと可哀想な気もしてきましたが、必要以上にそう感じる必要はないです。なぜなら無意識的にしろ、そういう生き方を選択しているのはその人だからです。そして大事なのは、その人が自分で負っていた傷にしっかり気付くことです。なんとなく傷ついているのは自覚しているのに向き合わず、でも何となく居心地が悪いから他人に傷を振りまいているのは、お門違いです。
そんな人に必要以上に関わる必要はありません。ただ、この記事で知った視点があれば、そこまで振り回されることなくやり過ごせるかもしれません。
嫌な人がどんな人か落ち着いて見てみると、自分がどうすべきか見えてくるかもしれません。その手助けになれたら幸いです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?