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残された時間

「今から美味しいもんでも食べに行こうや。」
病院のベッドで父は私と兄にこう言った。


○緊急入院
腎不全で入院。緊急透析をするかどうかの選択をせまられたと連絡があったのが一昨日だ。
腎臓についてまるで知識のない私は、とにかく調べなきゃと思って情報を集め始めた。

情報は兄伝えなので的を得ない。とりあえず腎臓の数値が悪い。胆嚢炎おこしているのがさらに状況を悪化させているらしい…etc。で、緊急透析ってなんだ?

認知症である父は状況が理解出来ず点滴の管を抜いてしまったらしい。そんな状況では透析は危ないとも言われたそうだ。


○家族会議
私は知り合いの医療関係者から聞いた話と疑問を兄弟に伝えた。
・今の状況は?
・透析のリスク
    なぜ緊急透析なのか
    今の数値は?
・透析になった場合介護は可能なのか?

詳しい状況がわからないままでは兄弟との話は堂々巡りだった。
「いつ医師と話すの?私も行く。」と私は言った。自分の耳で聞かないとわからないし質問も出来ない。他府県在住の私だが、車で2時間半、来れない距離では無い。


○父との時間
「お父さん。」
病院のベッドで目を閉じていた父は私と娘に気付いて目を開け
「おう。来たんか。」
と嬉しそうな笑顔を見せた。
そして娘を見て
「可愛らしいな。可愛らしいな。べっぴんさんや。」
と繰り返した。
思っていたより元気そうでホッとした。

「お父さんもな、もう88や。長いこと生きた。」
「いい人生やった。」
「なんも思い残すことはない。」

きっと父もわかっている。


○主治医の説明
次の日、仕事を早めに切り上げて1人病院に向かった。自分が病気をしてから長距離を1人で運転することは避けていたが、そうせずにはいられなかった。若い頃から何度も車を走らせた道を懐かしく思い出しながら走った。

若い主治医の話はとてもわかりやすく、今の状況が理解出来た。インフォームド・コンセントとよく言われるが聞く側にもある程度の知識は必要だ。私も自分の告知の時は、聴きながらも全く頭に入っていなかった。

それでも途中から涙が出てきて仕方なかった。
兄は少しでも長く、と思っていたようだ。でも、食べられない、飲めない、点滴、拘束…こんな状態で長く生きるのを父は望むだろうか。

「美味しいもの食べに行こう、とさっきも言ってたやん。」
「お兄ちゃん、長くじゃない。どう生きたいか、や。」
「お父さんは自由になりたいはずや。」
「残される者の自己満足で苦しめたらかわいそうや。」
泣きながら悲鳴のように叫んだと思う。

黙って聞いていた医師が静かに、
「積極的な治療は苦しみを長引かせる可能性があります。透析の最中に引き抜いたら命に直結します。」
と話し出した。
「なるべく苦しまないようにします。ご飯も食べられます。個室に入れば付き添いも出来ます。」

兄は黙って下を向いていた。

○決断
決めるって辛い。
お兄ちゃんが決められないなら私が決める。

「そうしてください。」
「急変した場合の心臓マッサージはどうしますか。」
「なにもしなくていいです。」

生きていてほしい、死んで欲しくない、でも辛い思いしたまま逝かせたくない。
管につながれてるってしんどいんだよ。拘束されて自由に動けないなんて可哀想すぎる。
私だったら絶対に嫌だ。病気してないとわからない。


○伝えるということ
病院を出て、弟に電話をかけた。「そっか…。わかった。」 
寂しそうな声だった。

母には透析はしないで様子をみるとだけ伝えた。「ゆっくり悪くなるのは仕方ない。」とかえって少し安心したようだ。

可愛がってもらった私の長男にはLINEで伝えた。いつも未読スルーなのに秒で返事が来た。
「来週帰る。」
きっと初めての身内との別れに怯えているだろう。

明日には叔母に話に行こう。


○これからのこと
なるべく側にいたい。週末は必ず帰ってこよう。いよいよとなったら仕事を休ませてもらおう。

お父さん
お父さん

明日も会いに行くからね。



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