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塔三月号若葉集より好きな歌五首

「塔」三月号より、私の好きな歌です(敬称略)。

一滴でも水は水なら一行でもこれは私の絶叫だから 潮未咲

166p

潮さんの短歌、全部が好きでしたが、この一首は私を打ち抜きました。
短歌を、心の底からの短歌を詠もうとするとき、私にとってもその一行は絶叫になっていると思います。
だから、なかなかお洒落な歌は詠めないし、明るい歌も少ないです。
でも、短歌は叫び。この叫びに心を震わせてくれる人がいたなら・・・。
潮さんの絶叫は、私の魂全体を震わせました。
すごい歌を読ませてくれてありがとうございます、と、伝えたいです。


嘘をつく人間として触れてくれ 木製だから磨けば光る 土居尚子

166p

この一首も絶叫の一首だと感じました。
言語化しずらいのですが、まず、自分を「嘘をつく人間」として認識してくれ、という上の句に驚きました。人は「嘘をつかない人間」と思ってほしい生き物だと思い込んでいた私の根底概念を覆しました。
そして、そういう人間として「触れてくれ」「磨けば光る」という。自分は「木製だから」、という。
船越桂の彫刻像を思い出しました。
船越桂のオフィシャルサイトはこちら→ http://katsurahunakoshi.com/


 

温めてゆるめてそっと撫でてみるまずは私に優しくする日 高橋澄子

170p

「自分に優しくしてください」、そんな言葉はよく聞きます。
言われたこともありますし、言ったこともあります。
その言葉を上の句で具体的に表現しているところが好きです。
「温めてゆるめてそっと撫でてみる」。自分の身体も心も、自分が、そっと抱きしめている姿が浮かびます。
人は、まず自分に優しくして、そしてほかの人にも優しくなれるのだと、そんな言葉を一首から頂いたような気がします。


敗戦後こころに沁みたブギウギの今は娯楽のドラマとなりぬ 森田忠臣

173p

もちろんこれは、1947年、終戦後すぐに流行した笠置シヅ子の「東京ブギウギ」のことだと思います。いま、朝ドラになってますよね。
森田さんは、「終戦」と言わず「敗戦」と詠んでます。
そう、第二次世界大戦(大東亜戦争)で日本は厳密にいえば敗戦したのであり、「終戦」したわけではありません。それを「終戦」と言ってしまう現代社会にへの批判もチクリと入っている気がします。
私は戦後二十年もたってから生まれたので、敗戦した当時の日本の空気は知りません。それでも、負けて、意気消沈していた(?)日本に、あの明るい歌声は一種の救いとして受け止められ、大流行したのではないでしょうか。
敗戦後二年、もう顔を上げて生きていこうよ、もう一度元気を取り戻そうよ。そんなメッセージを感じます。
また、もう一つ、私が思うのは、戦前戦中の「恋」などできなかった(抑圧された)時代の後で、「甘い恋」の歌を歌える自由。アメリカによってもたらされた自由恋愛賛歌も含まれているようにも感じます。

そんな敗戦時代も知らない世代が作ったドラマから、自分たちを救った歌が流れてくる苦々しさ、というものを感じました。


客観視 作家の描いた吹き出しにバツすればふと星の死ぬ気配 石田犀

175p

一連の作品から、作者の石田さんが漫画雑誌の編集者であることがわかります。
初句「客観視」。この言葉は二つの意味の可能性があるように思います。
一つは、もしかしたら石田さんがバツをしたセリフが「客観視」という語だったという可能性。
二つ目は、原稿を頂いた自分が客観的に見ていてバツをする、その行為が「客観視」してるからだ、という意味である可能性。

私は最初、二つ目の意味だと読みました。しかし、それだけではないのかな、と後から思いました。
漫画の編集者というのは激務だと想像します。漫画家とは二人三脚で作品を作りあげていくのでしょう。一連の中に『この人(キャラ)はこんなこと言わないですよ』という時の歌もあります。そう伝えるときに声が震える、という。ほんのすこしですが、雑誌の編集部にいたことがある私にも経験があります。頂いたエッセイのお原稿に、もう一点付け足していただきたくてお電話をしたとき、声が震えていたと思います。

石田さんは、その自分がバツをした吹き出しが、漫画家の心の叫びなのかもしれない、と感じていらっしゃるのではないでしょうか。だからこそ、バツをするときに「星の死ぬ気配」を感じるのだと思います。
その気配を感じ取れる石田さんは、きっと、とてもいい編集者だと、私は思います。


以上、マーカーをつけたお歌はもっとたくさんあったのですが、その中の五首について書きました。




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