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塔六月号 気になった五首

おはようございます。
今回は、次号がくるまでに塔を読み終えることが出来たので、全体/から私の好きな歌五首について書きたいと思います。いつもながら個人的な感想です。敬称略、申し訳ありません。

被害妄想だと言えりその言葉こそが私をもう一度刺す/荒井直子

月集7p

直前の一首に、「不愉快だどけど私に怒鳴るのが私の夫であるということ」という歌があります。つまり、日常的に怒鳴られているのだと思います。
それを友人、もしくは親戚、もしくは本人に「やめて」と訴えたとき、「被害妄想だ」と言われてしまう。その言葉が、もう一度自分を傷つけるのです。もしかしたら、怒鳴られた時よりずっと深く筆者を刺すのかもしれません。
筆者の夫は、きっと外では機嫌のいい、温厚な男性なのでしょう。多くのモラハラ夫がそうであるように、外面がいい分、内向した怒りが身内に向き、身内にはひどいことをする。その苦しさを訴えようにも、外面がいい分、夫を知る人には(あんな温厚な人がそんなことをするはずがない)と思われてしまい、掲載歌のように「被害妄想」だと、筆者の方が責められるような状況が生まれるのだと思います。
これは、お辛い立場だと思います。一人でも、筆者の叫びを本当のこととして受け止めてくれる人が現れるのを祈っております。その事実をそのまま受け止めてもらえるだけで、きっと筆者はかなり救われるように思います。

石川から戻った人にやらせてとストレスチェックシートが届く
あの頃は何度もやったストレスチェックありのままなど書くわけないが
「気が滅入る」「疲れが取れない」「眠れない」あてはまらない人がいたのか
正直に答えちゃったら誰だって引っかかるよと同僚が言う
休養を取れとか出てきてムカつくよ、ふざけるなってデータ消したよ
惨事ストレスゼロ判定も不自然か軽度になるよういくらか直す
ストレスチェックは全員異常なしだった突発難聴、血尿の人も
                             佐藤涼子

作品1三井修選97p

次は、一首だけでなく、連作すべてを書いてみました。
筆者は能登で市役所に勤めている方なのでしょうか。被災をしながら仕事をしている。そんなときに中央から「ストレスチェックシート」なるものが大量に送られてくる。自分も違和感を覚え、同僚も「正直に答えたら誰だって引っかかる」と言う。本当のことなど書けないストレスチェックシートなのだ。
被災の現実と中央(政府?)の温度さ、中央の無神経さが浮き彫りになる連作だと思う。こんな実態があるのだと、広く知られてほしいと、私は思ってしまいます。


かなしみはいつか消えるという歌詞で身体はおののくほどに炎だ/toron*

作品2三井修選172p

今年の塔新人賞を取ったtoron*さんの作品。
とても悲しい状態、なんにも癒されない、どうしたらいいかわからない。そんな悲しみの最中で、聞こえてきた歌が「かなしみはいつか消える」と歌う。そのときに全身に沸き上がった怒りの想いを詠った歌だと思います。
「身体はおののくほどに炎だ」という下の句がとても好きです。心が思う前に身体が反応している。しかも「おののくほど」。炎として真っ赤に燃えたつほどに。
誰にもこんな瞬間があると思う。その瞬間を逃さず捉え、こんな風に歌にできるtoron*さんの感性は、本当にすごいなぁ、と思います。好きです。



三月の雨を桐の箱にしてふくよかに春を泣いてゐたいよ/森山緋紗

作品2なみの亜子選190p

とても綺麗なお歌だと思いました。
三月の雨を「桐の箱」にして、春を泣いていたい。それもふくよかに。ふくよかはは形容動詞で、「ふくよかな春」「ふくよかなり」になるのだと思いますが、森山さんは「ふくよかに泣いていたい」と詠われています。それがなんとも言えない、独自な詠み方だと感じました。
三月の雨は、梅雨とは違って、どこかやわらかく、温かいものだと思います。一雨ごとに春が近づくと言われている時期ですし、そんなやわらかな雨を「桐の箱」にしたい、という気持ちはわかるような気がしますが、やっぱり私にはなかなか出てこない言葉です。私ならつい、「たとえば」とかつけてしまいそうですが、このお歌だと三月の雨を桐の箱にするのは、ごく普通のことのようです。初句から結句まで、綺麗な、そして温かいお歌だなぁ、と思いました。


人を憎み憎む心をねじ伏せた歳月すでに茶色の時間/姉崎雅子

作品2なみの亜子選192p

人を憎んでしまうような出来事があった。それでも、その人との関係を壊さないように、憎む心を必死でねじ伏せてきた歳月があった。そしてその長かった時間は、「すでに茶色の時間」と姉崎さんは詠います。
このお歌の気持ちは、とてもよくわかります。私にも憎む相手がいました。それでも、その人との関係が続く間(仕事が一緒だったり、頻繁に会う間柄の親族だったり、友人だったり)は、関係を悪化させないために「憎む心をねじ伏せ」てきました。それは処世術であり、関係悪化により諸事滞ることへの不安からでした。
私は、その憎むべき相手と、もう会わなくて済む。そうはっきりして、数年後に、やっと憎む心が赤裸々に戻ってきました、でも、もうそれは茶色の時間の中に埋没しているのです。それでももう憎んでいい。それは私にとっては、ひとつの救いでした。
・・・自分語りばかりすみません。歌意とは離れてしまっているかもしれませんが、そんなことを思いました。


以上、五首(連作含む)でした。
いつもながら、マーカーや付箋だらけの六月号になりました。
七月号が届くのが、今からとても楽しみです。

※私の感想があまりにも的外れで、こんなこと書かないでくれと思われた方はご連絡ください。すぐに削除します。
どうぞよろしくお願いします。




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