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塔三月号より好きな歌五首

今月も、たくさんたくさん、心に響くお歌ばかりだったのですが、全部書ける気がしないので、無理無理五首に絞って、感想を書いていきます。
敬称略で失礼します。

笑へないのに笑ふとき皮膚の下をゆっくり泳ぐさかな、ぎんいろ 藤田ゆき乃

新樹集26p

同じ若葉集、入会一年目の藤田さんのこの感性の素晴らしさ。
特に下の句が印象的で、射貫かれました。「ゆっくり泳ぐさかな、ぎんいろ」。その静謐な美の中に残る、ざらっとした違和感。それを「笑へないのに笑ふとき」、「皮膚の下」に感じるという。
七首採られているその連作を見ても、ご自分の世界を持っていて、それを描き出す力のある歌人だと思いました。今後も藤田さんのお歌が読めるのが、とても嬉しいです。


火は怖い赤にも青にもなるからとわたしよりきっと死に近き友 川上まなみ

百葉集 30p

死は、私には青い水に感じられることが多いです。だからかもしれませんが、上の句がとてもしっくり来て、しかもそれを「死に近き友」が言ったというのが、ぐっときました。なぜ火が怖い友人を「死に近い」と感じられたのか。その言葉を繊細に掬い上げて歌として完成させる川上さん、さすがだなぁと思いました。「塔」の中でも好きな歌人です。「日々に木々ときどき風が吹いてきて」も、いつか手に入れて読むつもりです。


助けてと言えばよかった冬が来る前の日差しの下に佇む 堀内悠子

作品2三井修選 94p

二句目までの、歌への入り方がとても強烈です。
何を助けてほしかったのか、どんな困難なことがあったのか、それは全くわかりません。ただ、「助けて」と言えず、なにかことが起こってしまい、そのあとの後悔の念が寂しく響きます。「寂しく」響くのです。恨みや反省や、涙や絶叫は感じられない。ただ、淡々と、「冬が来る前の日差しの下」に佇んでいる。そのたたずまいが、とても清らかに、とてもはかなく感じられます。とても好きな一首です。


我が腕の中に丸まる子の温み ここだったのだ帰るところは 青垣美和

作品2なみの亜子選 148p

時間的なパラドクスを感じます。
子を産んだのは、私。それなのに、その子を抱いているときに、「私が帰るところはここだったのだ」と深く安堵する。
それでは、その子が産まれる前はどうだったのか? 作者には「帰る」ところがなかった、と感じられている。親にも、友にも、もしかしたら夫にも、芯から安心するということがなかったのかもしれません。もしくは、そんなことはなく、親密な関係や信頼関係は確かにあったけれど、その上で、自分から産まれた子を抱いているときに、それとは別の次元でほっとしている自分がいる・・・。メビウスの輪のように、時間軸が入れ替わりつつ、作者は永遠にくつろげる場所を得ることが出来たのかもしれません。


燃えやすい心を持っていることを恥じなくていい きれいな落ち葉 朝野陽々

作品2小林信也選 151p

紅葉の赤や黄に染まった世界がとても綺麗で、そして、その赤や黄を見ながら「燃えやすい心を持っていることを恥じなくていい」と言ってくれます。
「燃えやすい心」とは、どんな心なのでしょう。私には、とても繊細で、少しのことでも傷ついて、時には炎のように怒ってしまうこともある、そんな風な心のように感じました。私も、そんな心を持っています。
lそして、そんな心を持っていることを「恥じなくていい」という断定を、とてもやさしい断定と感じて、この歌に安らぎを与えてもらう私がいます。


以上、三月号から五首でした。
もうすぐ四月号が塔着する頃ですね。楽しみながら、待っています。



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