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フリーランスになった訳(エピソード1)

スキルアップしてきて、最近では割とフリーランスになっている生徒さんもいらっしゃいます。昔話ですが、私の経験談を。

学校卒業後、ハードのエンジニアになりたくて就職

電気系の学校(高等専門学校)卒業後、学生時代からずっとバンドをやっていて、音楽に関われる仕事につけたらということで、音楽と技術の接点のある宝塚にある老舗のPA(音響機器)のメーカーに就職しました。学校で勉強してきた技術を活かせることができると思い入りましたが、実際に配属されたのは”営業部門の技術サポート”という仕事。簡単に言うとアフターサービスマニュアルの編集部門でした。仕事場はなごやかな雰囲気でゆるーく仕事できていてよかったのですが、ほとんどコピーと印刷屋さんへの原稿作成・打ち合わせが主な業務でした。しかしこの会社は、アーティストのライブとかに音響設備を貸し出して音響業務を行う部門もあり、会社内では憧れの部門でした。そんな仕事を横目で見ながら、”あー、やっぱりなんかちがうなぁ”と思いつつの新入社員時代でした。(実は、密かに転職活動で会社終わりにレコーディングエンジニアのスクールに通ってたりしました)

音楽系の仕事は難しい=>できる仕事を探す

いろいろもがいてみましたが、関西で音楽業界はまず難しいという結論になりました。(若いのに諦めが早い。ダメですね。。。)
自分に残されたスキルは何かと自問自答した結果、父親が日本画をやっていた経緯もあり、小さいときから絵を描いたりデザインしたりが何となく得意だったので、デザインを仕事にしたいと思って動き出しました。
当時、スーパーリアルイラストというのが流行っていて、アクリル絵の具を使った写真のようなイラストテクニックに夢中になりました。
エアブラシも練習し、仕事で使えそうなリアルイラストレーションの作品を会社の寮でこっそり描いたりして作品をためていきました。ただ、コンテストなどに出しても、全く評価されたことはなく不安だけれどやる気だけは満々で活動していきました。

次の仕事にするには厳しいというのは薄々感じていたので、まずは業界に入らないと。。。ということで、会社を辞め当事会社の業務でお付き合いのあった小さなデザイン事務所にアルバイトでやとってもらうことになりました。待遇は少し下がった感じでしたが、勤務時間を短くしてもらい夜間の専門学校(あんまり役に立たなかった)に行かせてもらえたり、色々印刷の技術を教えてもらったりと、しんどかったですがこの時期に色々なデザイン・印刷のスキルを得させていただきました。

悪魔の誘惑 いきなりフリーランスに

今ではあまりはっきり覚えていないのですが、なぜか仕事なれてきた頃に別のよくわからない業者さんの知り合いになり、裏でデザインの仕事をまわすよとお誘いを受け、簡単な名刺のデザインや図面作成などをやらせてもらい始めていました。決して高いギャラではなかったのですが、”おっ、このままこういう感じで自分で仕事できるのかも。。。”と思い出しました。
若干24歳。
お世話になったデザイン事務所を、2年ちょっとで退社。 フリーランスイラストレーターとして独立することに。社長には本当にお世話になったのに、ペーペーのまま辞めてしまい本当に申し訳なく思っていました。出入りの業者からも、「なんの経験もないのに、フリーランスって無謀すぎる。来週ぐらいに淀川に浮いてるってことないですよねぇ。。。」なんて言う嫌味を言われたり。。。
独立するにあたって、前途のデザイン事務所の社長さんからイラストを発注してくれそうな知り合いのデザイン事務所を紹介してくれて、そこでいきなり結構大手の医療メーカーのパンフレットを受注させていただきました。その後も色々仕事をもらって、独立1ヶ月目は結構収入があり、これはもう大丈夫と余裕をかましていましたが、その後はほとんど仕事がなく元いた音響メーカーさんの友だちに頼んで、簡単な書類作成を請け負ったりして食いつないでいっておりました。

このときには実家の親とはほとんど絶縁状態で、親としては”うちの息子は、なんか会社辞めて変な仕事しだした。もう、親が面倒見ないといけないだろう”と思っていたらしく、厳しい内容の手紙をたくさんもらいました。

最初の名刺(版下で制作)

売り込み・苦い思い出

とはいえ、そのうち徐々にイラストの仕事やデザインの仕事を元いた音響メーカーさんや、デザイン事務所さんからいただけるようになり、また、DM(昔は名簿を調べて、DMはがきを送るのが定番)からも、少し仕事をもらえたりしました。
しかし、もともとそこまでスキルが高いわけでもなく、オーダーをもらってもダメ出しされて採用してもらえなかったこともありました。
新聞広告用に描いたものが掲載されると思ってたら、写真に差し替えられていたり、”デッサン力がない”と身も蓋もない(実際なかったと思います)評価で没になったりとか。ほんとに落ち込みました。
ある時、DMから”イラストマップをかいてくれ”っていう連絡をもらいました。今までかわいいイラストマップを描いたことがなかったので、要領がわからず修正にもうまく対応できなかったので、結局怒られて不採用になりました。でも、そのデザイナーさんからは、こういうときはこんな感じで修正するんだよと教えてもらったりしました。
イラストレーターって、どんなスタイルのイラストでもこなせないといけないと思っていたので、ダメだったのですね。DMに幅広くやりますなんて書いたのも間違いの始まりです。


フジカラーポストカードのDM

教訓:人の縁を大切に

フリーランスになるって、自分ひとりで頑張ることばかりをイメージしがちですが、今までのお話でもあったように、様々な方のサポートや善意のおかげてやってこれたようなものです。
最初に就職した会社、修行させてもらったデザイン事務所、最初の仕事をっくれたデザイン事務所、叱咤激励してくれたデザイン事務所の皆さんなど、今考えれば、自分が関わってきた縁からのチャンスが多かったです。
よく過去を一切チャラにして新しい世界でという方がいらっしゃいますが、できれば経験してきたことや得た縁を次のステージでも活かせていけることが、得策だと思います。で、運が巡ってきたら躊躇せずやってみることだと思います。

UnsplashJOHN TOWNERが撮影した写真


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