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大和の曙光

【記録◆2024年2月27日】

「山が名告る」という体験をしたのは、10代の終わり。
 目から魂に入り込んできた名は、畝傍山でした。

 以下の記事に少し、その体験を書いています。

「山に招ばれる」という体験をしたのは、20代の終わり。

 伊勢(三重県)から奈良を経由して京都へ向かう途上、「人生の分岐」が現れて道を選ぶ必要に迫られ、「このまま進む」と考えた瞬間、乗っていた電車の窓が山に占められ、「違う、この道じゃない」と分かったのでした。

 わたしを招んだのは「三輪山」で、数ヶ月後に初めて麓まで行ったとき、
「ここの大樹に光が宿っている夢を、前の週に視ていた」と気づきました。

 夢では、振り返ると日輪が西にあり、耳では聴けない轟音とともに大きく巡る光の渦へ、大地はなだれ落ちるように向かっていくのでした。
 数十年後には、その夢が新文明の予告だったように感じています。

「山に迎え入れられる」と感じたのは、いまから6年前。
 大和盆地の西へ向かうたび、「葛城山」が抱き取ってくれるようで。

 さっき気づいたのですが、三輪山、畝傍山、葛城山を結ぶ道があります。
 夏至に葛城山東麓から畝傍山の方角を見ると、その向こう側の三輪山から陽は昇るはず。

 27日には、それを知らないまま葛城山の麓へ向かったのでした。
 大和盆地が沼地だった頃、最初の王国が創られた所へ。


◇鴨都波神社(下鴨)◇

 古代出雲では、「カミ(神)」を「カモ」と発音しました。
 気温の低い日でしたが、『鴨都波(かもつば)神社』ではおもいがけず、2月上旬から咲きはじめる「河津桜」に迎えられたのでした。

鴨都波神社の河津桜
参道の祓戸神社

 このあと巡った神社にも参道に「祓戸神社」があり、そちらは撮影禁止となっていましたが、『鴨都波神社』では御祭神の名に惹かれて、
「かみさま、撮らせてください」とお願いをしたのでした。
 4柱の神さまが、知らないうちに付いた罪穢れを祓ってくださるのです。

 境内では、「やさしい」と声に出したほど、慈しまれるのを感じました。
 ここでは自分は赦された存在なのだと分かり、そのためにかえって無礼を働かないか気になるのでした。

本殿

 祀られているのは「事代主(コトシロヌシ)」。
 神社を建てた「奇日方(クシヒカタ)」のおとうさんです。

神農社

『神農社』のほうには、事代主が役職名で祀られています。
 神さまのおうちは新しくなったばかり。インターネットには古いほうしか写真がないようなので、ここに載せておきます。

神農社の彫刻

 先月、『犬飼山 転法輪寺』の彫刻を見て、「この山門だけで、大和民族の源流が分かるよう」と書きましたが、「獅子や象の国は流れが巡った所で、天と地を巡り続ける水の環のなかに源流はある」と、いまは書きます。

鴨都波遺跡

 西側にある『鴨都波遺跡』へ歩み入るにつれ、とめどなく涙があふれて、
「知っている、ここを。ここで愛されていた」という気がしました。
 初めて来た場所なのですが、DNAか魂の記憶が揺さぶられたのでしょう。


◇葛城御歳神社(中鴨)◇

 2000年以上前の時空を巡るには、体力の配分を考えなくてはなりません。車椅子ユーザーが二本杖で動ける範囲は、ごく限られているので。

 そのため、『葛城御歳(みとし)神社』は通り過ぎようとしたけれど、
「御神体は、神社の背後の山」と知って惹きつけられました。

 空に寒気が流れ込んで真冬のような日でしたが、境内には風鈴がたくさん吊るされていて、真夏にしか聴かない音が絶えません。
 その音が冷たい水のように風を透き通らせ、神域を洗い続けているよう。

葛城御歳神社
御歳山(神体山)

 同じ場所の反対側は青空です。こんなに近くから金剛山を撮るのは初めて(盆地では、近づくほどに電柱や電線が入ってしまうため)。

金剛山

「巨椋池(京都府)から木津川を遡って大和盆地に入り、金剛山地の東麓に着いた古代人」が目にした山容を、わたしも見ています。


◇高鴨神社(上鴨)◇

「高鴨神社まで南下して、そこから山沿いに北へ戻る予定」を立てたとき、航空写真では盆地の最南端に見えたのに、実際は、かなり高い場所でした。

「ここまで上ってくる間に見た風景を、もういちど見たい」と願いつつ先へ進みます。
 先月、金剛山の南を通って隣県へ向かうとき、遠くの山々が重なり合って大きな波のようになっているのを高速道路から見たのですが、ほとんど同じ風景を、ゆっくりと山間の道を進む間に眺められたので。

 きょうも、最も遠い山の稜線だけが真っ白でした。
「たたなづく青垣」の果てを白く縁取っていたのは、天川村の大峰山かも。

 きょうは戻らずに北へ進むため、願いがかなうとしたら来冬でしょうか。
 車を止められなかったため、美しい光景は目のなかにだけ残っています。

高鴨神社

「撮影禁止」の立て札が多かったので、遠くから撮った写真を載せます。

拝殿
振り返って(参道)
宮池の浮舞台

 この舞台で、神楽や雅楽が奉納されるそうです。
 手前では、山からの美しい水が、音を立てて池に流れ込んでいます。


◇高天彦神社◇

説明板

「ほんとうの歴史」が分からないため、御神体だけを載せておきます。

白雲岳(神体山)

『白雲岳(標高985m)』の真後ろが金剛山(1125m)山頂で、登山口にもなっている高天彦神社の標高が約460メートル。

 今冬、大和盆地中央には雪が積もりませんでした。風に舞う雪を見たのが冬至で、「年内の初雪は初めてでは」と考えていたのに、年が明けてからは降る雪さえも見ていません。

 しかし、山間の「井光川」上流で雪を見たのは、昨年11月中旬でした。

『高天』は、古には高天山(たかまやま)という名であった金剛山で高天原(たかあまはら)と呼ばれていた聖地。
 そこで頬に触れたのが、わたしにとっては今年の初雪でした。

 神社の傍にある『高天水車』は「天水(金剛山から流れる水)」を受けて回り続けています。動画内の、飛沫ではない水の軌跡が雪です。

高天原の空

「古代人は葛城から三輪山を拝んでいた」と知った後、同じ視界を得たいと願っていたのですが、車で走りつつ、「こんなふうに見えるのか」と、心を震わせ続けました。

 写真を撮れる場所が無く、無理に撮ると人工物が写り込み、天気の影響か見たままの光景を写せなかったため、記録として1枚だけ載せておきます。
 東方の「鳥見山」から西方の「高天(金剛山)」を見た日とは反対側から撮れたので、電線が写っていない部分を

高天から鳥見を

 昨秋には、三輪山遙拝の場所である鳥見山から三輪山が見えないので、
「金剛山の聖地(高天原)を遙拝する地なのか」と考えもしたのですが、
『金剛山地の落日(冬至)』や『二上山の落日(春分と秋分)』を遙拝し、夜の間に陽が蘇って再び東方から昇るよう、祈ったのかもしれません。

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