鳥見から高天を
【記録◆2023年11月29日】
大和盆地から山間に入って1時間ほどの後に着く所は、近いと感じます。
瀧へ続く道は、国道でも時速10キロ台でしか走れないような所があるし、県道でも二車線ではない所が多いし、林道だと進んできたのを後悔しそうになりがちだから、街を通って行ける場所は、近所のように感じられます。
近所のように感じる『鳥見山(宇陀市榛原)』なのに、山裾の住宅地から林道に進んだ途端、「逢魔が時を避けられるよう家を出てきたはずなのに」と混乱したのでした。初冬の午後、山の陰で樹々に光を遮られて。
(真夏の真昼でも、深い山では何時なのか判らなくなる瞬間があります。)
しかし、そこから数分で視界に空が現れ、『鳥見山公園』に着くのです。
瀧を巡るようになるまでは、「新緑の鳥見山ほど美しい所は知らない」とおもっていました。
夏の写真が以下の記事にあります。大雨の直前で、この明るさでした。
紅葉の季節に来るのは初めて。
いつも光の混じった風を含んでいた緑の斜面は紅色に変わって、モミジは地面も紅色に変えています。
きょうの目的は、「18年ほど前に、かろうじて辿り着いた坂道の果て」を見つけること。
子どもたちが向かいの山へ駆けていくのを見送るしかできなくて、
「まだ、いっしょに駆けたい。脚の治療をしよう」と決めた場所でした。
(当時は先天性の障害とは知らず、治療すれば治ると考えていたのです。)
南のほうの展望台とは逆の方向に『見晴台』があると地図で判ったから、
「18年前にはそちらへ行ったのだろう」と見当をつけました。
二本杖を上の段に突いて腕の力で進んでいけるから、歩けないわたしには楽な道。しかし、どこまでも続いているから、「前鬼川は260段だった」と唱えながら、ひたすら腕を動かしました。
見晴台が近いのか、山の稜線が見えました。さらに進みます。
見晴台に立って振り返ったら、大和盆地に天から光が注がれていました。
光の瀧の向こう側にある西の山々は、右から、二上山、岩橋山、葛城山、金剛山。
光の滝壺に点在するのは、右から、耳成山、畝傍山、天香具山。
手前の稜線近くの低い山は、もしかしたら、いま居る鳥見山の前に霊畤[まつりのにわ]だった「鳥見山」かもしれません。
(同じ名前なのは、歴史の流れで聖地を変えなくてはならなかったため。)
どちらの鳥見山も「三輪山遙拝」の場所なのですが、ここからは三輪山が見えません。地図に定規を当てると、二上山との間になるけれど、どうやら手前に見えているのは巻向山のよう。
鳥のように空へ舞い上がれたら、巻向山の向こうに三輪山が見えるはず。
(低いほうの鳥見山は三輪山西南なので、樹木に視界を遮られなかったら、他に遮るものはありません。)
いま居る所は海抜600mほどですが頂上は730mだから、「西峠北方の丘」と伝えられる霊畤は、巻向山の向こうが見えるほど高い所なのでしょうか。
それとも、ここは巻向山中にある聖地を遙拝する場所なのか、あるいは、高天山(たかまやま)という名であった金剛山で高天原(たかあまはら)と呼ばれていた聖地を遙拝する場所なのか……と想像を巡らせます。
振り返るのは、ここまでにして。
以下は反対側の山々。
案内板に書かれた山名は盆地に近いほうから、音羽山、熊ヶ岳、竜門岳、稲村岳、山上ヶ岳、大台ヶ原山、国見山、明神平、伊那佐山。
強い風が耳もとで笛のように鳴るため、見える山々と照合できません。
先へ行く道が無いため引き返し、「山頂まで30分」という標識のほうには進む体力が無くて、「18年前の光景」は見失ったままとなりました。
帰宅後に考えたのですが、山頂までの道は上りばかりではなく、少しだけ進んでみたら、子どもたちが駆けて行った道を見渡せたのかも。
まだ命が続くのなら、山頂へ続く道をいま居る所の向こう側で見つけたいとおもいます。再び新緑の季節が巡ってきたときに。
来た道を戻りはじめるとき、まだ大和盆地には光が射していました。
「上ってきた階段を下りるのはたいへんだ」と考えていたけれど、真っすぐ進んでみると緩やかな道が続いているようだから、そちらを選びました。
上の写真の鳥居(右から3分の1)をくぐって、池の反対側に来ました。(鳥居の向こう側の参道は、散ったモミジで埋め尽くされています。)
緩やかな道は、『鳥見社』という神社の後ろ側を通っていたのでした。
駐車場との間にも、石鳥居があります。
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