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【マーラー書きたい9】マラ6本番を終えて

本番のエアチェックがないので、客観的とは言えないかも知れない。しかし、記念すべき70回目の定期演奏会を、大きな事故もなく、良い演奏で無事終えたのではないか、と思う。最後の静寂はなんだったんだろう。

コロナらしく、打ち上げは有志とZOOMで。飲み過ぎて早い時間に落ちてしまった。ZOOMはよくない。一人で飲んでるのにみんなで飲んでる気になるので、ついつい飲み過ぎてしまう。

いったん、演奏評

ゲネの録音を聴いているが、ゲネからアツい。なかなかの熱量。あらためて、良かったな、と思う。しかし疲れたのも事実。翌日は軽めの仕事にしておいてよかった。

今回、本番中に一番演奏したかったところ(詳しくは前回の記事に)で泣いてしまった。次のフレーズの演奏に支障が出るくらい。少しウルッと来ることはあっても、あんなに泣いたのは初めてかも。嗚咽。集中力が足りないと怒られるかも知れないが、あんな経験もするんだな。それくらい素晴らしい体験。音の渦。音の波。

ゲネ音源を聴く限りでは、全体を通してやはりザ・シンフォニーホールの驚異的な威力の恩恵を存分に受けている。本当に素晴らしいホール。もう、やめられないよ、あれは。音の宝石箱。しょうもない私のようなヤツのヘボ音でも、キラキラ輝く(ような気がする)。自分のソロもまずまずかな。

出会いあり、別れあり

多くのエキストラさんのお力で、演奏会が成り立った。クラリネットでいえば元団員のUさんAさんの多大なる助力。他のパートでも、たくさん。個人的にはコンファゴNさんはシビれた。トランペットの白水先生のお力も大きい。安心感と安定感。また、若い仲間もたくさん増え、またオケが活性化するのかも。

別れについて。とくに今回で団を去ることになったファゴットのSさん、オーボエのKさんI君、そしてヴァイオリンのM君。残念。オケの中でも近い関係だった人たちとの別れは、寂しい。音楽でつながっていた人たちは、言葉を交わす時間より音で会話する時間の方が長い。その時間をこれから先、しばし共有できなくなると思うと、ただただ寂しい。ファゴットのSさんとは、シベリウスの1番でトップだったときから、トップのときのペアが多かったし、アンサンブルもご一緒したし(これは続けたい!)、恐らくいなくなって気付く喪失感のようなものをこれから感じ続けるのだろう。もうすでにこんなだし。

過去、オーボエの素晴らしいソロを聴かせてくれていた若手のホープI君も退団。多いに残念だが実力も若さもある彼なら、いつかまた当団で活躍してくれるだろうと思う。Kさんは、私がまだ右も左ももわからない頃に、東通りに飲みに誘ってもらったり、なんだかんだで結構仲良くさせてもらった。前出のシベ1のときのトップチームの思い出も、昨日のことのようだ。ほんと、とても真面目で繊細で、オーボエ吹きを絵に描いたような性格。キャリアのために関西を捨て、お江戸に向かわれるとのこと、がんばってください。

さて、ヴァイオリンのM君。これはまた、飲み仲間でもあり、音楽的なリーダーでもあり、ムードメーカーでもあり、同じ営業職としてタイプは違えど一方的にダチ感の一番強かったヤツ。オケにとっては損失でしかないが、話を聞くと、家族にとってもキャリアにとっても良い転勤のようなので、喜んで見送りたい。また関東に近づくことがあったら、飲みたいなぁ、と。

そう言っていると一昨日飲む機会ができた。うれしい。また、飲もうぜぇ。

マーラーの音楽の持つ何か、について

昨日の投稿にも書いたが、マーラーに浸りマーラーに溺れていた、不思議な感覚がある。これは、とくにこの本番の前後1週間は強く、何なら練習再開の年始から、ずっとそうかも知れない。

一度、演奏活動をやめるくらいの気持ちになっていたのを、もっと、続けたいという気持ちになった。それだけの経験と価値を得た。判断を鈍らせたともいえるし、感情を優先したともいえる。理性が吹っ飛んだ感覚もある。さて、これはどう表現するべきか。

演奏会が終わって、次の演奏会の曲などを、少し聴いた。当然ながら、ワクワクするし、楽しみになる。しかし、直前のマーラーの本番の熱量と圧力がまだまだジワジワと残っていて、あまり入ってこない。何かしらの違和感。不思議な感覚。予定されている演奏会の曲ではないが、「ゴギさんとブラームスのヴァイオリン協奏曲をやるかも!」というような話があったので、それを想像してサラ・チャンの音源を聴いていても、カップリングされたブルッフと勘違いするくらい、入ってこない(分かりにくくて失礼)。

前回のベートーヴェンや、前々回のブラームス でも、おおいに音楽に没入する瞬間はあった。ベートーヴェンの高揚感、絶え間のないハイテンション、しつこくしつこく、とにかく最後は前向きな感覚 ブラームスの深み、紡ぐ喜び、決して派手ではないが立派な刺繍の一部になるような、圧倒的な建造物の一角になるような感覚。どちらも、かけがえのない素晴らしいものだけど、マーラーとは違う。

マーラーの音楽の持つ力。言葉では表現できない、凄さ。パワー。エネルギー。あの空間を共有した人にしか分からない、何か。音楽を言葉にすることが難しいことはよくあるが、その最たるものを、今回は感じている。音楽の持つ何か。それを追い求めて、アマチュアながらひたすら音楽活動を続けようとする。出来もしないのに、プロに追いつける訳でもないのに、そんなしょっちゅう、今回のような何かが得られる訳でもないのに。

前回マラ9の後も、同様の感覚はあった。最後感。ラスボス的な感覚。音楽の持つ何かが圧倒的に高い?多い?だんだん分からなくなってきた。

みんなをひとつにするという意味でも、マーラーさんの力は凄まじい。もしかすると、劇場とオーケストラを知り尽くした音楽家であるマーラーこそ、その全てを作曲に込めたのかも。音楽をやる全ての人に捧げるシンフォニー。拙い仮説。音楽をやる誰もが、マーラーをやりたいと思う。この【マーラー書きたい】シリーズもそうだ。またすぐに、マーラーをやりたくなる。欲張りな自分。そんな幸せな機会を待ち望む。ひとまず、このマーラーに対する興奮を収めて、はやく日常に戻ろう。

マーラー先生、ありがとうございます。また、いつかどこかで。

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