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何のために仕事してるか分からなくなる私を含めた多くの人へ

私はコロナにかかって仕事に復帰したときに、仕事は楽しい!と素直に思った。退院して2週間、身体の声・心の声を聞こうとして過ごした。それなりに、うまく行っている。体重も少し戻ったが、頑張って微増に抑えている。何よりも、食う量が減っている。食う量は、やはり増えそうにはなるが、今のところそれほど増えていない。以前に比べると、半分か3分の2程度かな。

あ、そうだ。お酒をやめることを決めました。中田敦彦のYouTube大学見た影響です。欲しくない今なら、やめれそうと思います。飲み会はいきますよ。周りに宣言しはじめていて、ちょっとずつぼちぼちがんぼります。

自分の身の回りのことを書くつもりはなかったけど、ふと思いついて、タイトルのような人に伝えたいと思って、考えた。自分を見失っている人、と書くと「そんなことはない!」と思うだろうし、何なら私もそうじゃないと考えていた。悩んだり迷ったりのレベルなら、「そういうもんだよね〜」と思うだろうし、何なら普通のこと。そうやって、人間は生きてきたし、これからも生きていくのだろう。

昨日は運転が長く、たまたまMB氏のVoicyを聞いていて、「なるほどな!」も膝を打った。信念を持つ。クサイ言葉。でもこれって、凄いこと。どんな信念でも良いと思う。社会のためにとか恵まれない人のためにとか殊勝なことでももちろん良いし、家族のためとか猫ちゃんのためとかでも、信念になる。持つか、持たないか。私は10年ほど前に、ある尊敬する先輩から、「人生の目標を持て!」と言われて、このnoteのプロフィールにも書いているように、「3Dと音楽で、仲間を幸せにする」という目標を立てて、生きている。もちろん、全くの道半ばで、何なら入口に入ったか入ってないかぐらいかもしれない。でも小さいながらその目標のおかげで、自分をそれほど見失わずに生きてきた。信念と言い換えても、良いと思う。そう、これからは信念と言い換える。

若い人は人生を見失いがちのように言うが、我々おじさんたちも、簡単に人生を見失う。私の場合、幸か不幸かコロナになって生死を彷徨うことで、人生を見直すきっかけになった。よくよく振り返ってみると、まあまあ見失っていたと思う。大反省。例えば、暴飲暴食。例えば、お金。例えば、人に接するすべての行動。例えば、ストレスとの付き合い方。例えば、自分の身の丈以上の、派手な行動。大反省。


もう一度人生の目標=信念に戻って、小さい歩みを、また始めていきたいと思う。捨てる勇気のなさも、私の悪いところ。すべてを持って墓場に入ることはできないのに。死ぬことを強く意識すると、こういう考えもリアリティが違う。捨てていくこと、そして、自分の信念に向かって、着実に歩みを進める。

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