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ハルモニの死

「人間、死んだら終わりや」

これはウチのアボジ(父親)が良く言っていた言葉。だから、家族を一番大事にするとか、好きなことをとことんやるとか、お金は勝手についてくるからお金を追いかけるなとか、民族のとか、韓国のとか、家のメシが一番ウマイとか、幸せに生きるとか。

アボジは、家族を一番に想う人だった。一家四人のみならず、オモニ(母親)の姉妹筋との付き合いは、間違いなく平均的な日本人家族や韓国人家族と比しても、ただならぬ関係の深さだったと思う。
とはいえ、実は父方の親戚、アボジの本家筋との付き合いはある時を境にバッサリと切っている。長男だったのに。どういうきっかけだったかは分からないが、おおよその想像はつく。

アボジは48歳で死んだ。自分がその年に近づいていることを、良く考える。年は近づいても、生き方は近づきすらしていない。むしろ、あさっての方向。遠ざかるというか、全く違うというか。全く、教えを守っていない。親不孝だね。

格好悪い弁明をするならば、結局は私自身の素性が、俗世間から抜けられないのだ。結局は、普通に就職して、普通にソコソコの会社に入って、普通に結婚して、小金を追いかけて、大した資産も築けず、趣味にいそしんでいる。これからの人生がどうなるかは分からない。ただ、何も考えず、のうのうと生きるならば、今から大きく変わることはないだろう。家族を親戚を、想い行動する時間的金銭的余裕もなければ、その気もない。どうだろうか、音楽だけは、結果的に言われたことのなかでは守っている方なのかも、知れない。

アボジの話が過ぎた。題名に戻る。ハルモニ(おばあちゃん)が御臨終されたとのこと。オモニのオモニ。94歳。当時まだ日本の支配下だった韓国の大邱(テグ)から嫁入りして、玄界灘を越え日本本土に渡り、佐賀のとある温泉地に根付き、ほぼ一世紀を生きた。5人の子供をもうけ、9人の孫をもうけ、更にひ孫まで。老衰。大往生と言って良いのか。

ハルモニは大きな方だった。体格も、人格も、両方とも。子供の頃、佐賀の田舎に行ったとき、なんだこのデケエばあちゃんは!と思って驚いたことが、今でも記憶に鮮やかだ。声もデカく、よく怒られた。一家の大黒柱。いやいやハラボジ(おじいちゃん)もいたのだけれど、ハルモニに完全に乗っ取られていた。存在感抜群。でもそれはそれで、良かったのだろう。

一時期、大阪にもいらしていた。何故なのかは良く分からない。今度、聞いてみよう。大阪でも良く怒られたし、良くご飯も作ってもらった。ハルモニのご飯は、ババくさい感じで、好きではなかった。ちょっとヘンなニオイもした。でも良く、笑っておられた。

アボジは父親筋のバッサリとは打って変わって、自分の妻の親、それも母親を、まさしく모셨다。「仕える、奉る」という類の意味だが、少し日本語とニュアンスが違う。「田舎があるって、ええな」とオモニに漏らしていたらしい。

夏にはだから良く、大阪から佐賀まで車で行った。帰省。私にとっては当たり前の夏の風景だったが、アボジにとっては特別な時間だったのかも知れない。結構な長距離だ。運転好きだったアボジにとっては何てことないかも知れないが、私には無理だ。一度だけトライしたことがあるが、こりごりだ。新幹線最高(笑)

ハルモニの元気な姿は、記憶に鮮やかに残っている。アボジの運転で家族で行った、帰省の想い出とともに。

家族を一番に生きたアボジ。家族の大黒柱だったハルモニ。家族のことを、考える夏の終わり。安らかに。고맙습니다. 편히 쉬세요.

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