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楽興の時 -関西シティフィル71回定期レポ

コロナ後の変化を考えたときに、音楽に対する考えが変わった、ような気がする。何だろう、うまく文章にできないが、またとない瞬間。私の周りの全てへの感謝。音楽の素晴らしさを今更強調する必要はないだろうが、何とも言えない、何か。仮に?楽興の時として。

昨日、コロナ禍での3回目の演奏会が終わった。

振り返ると、昨年の9月13日に今回と同プログラムでの演奏会の予定だったが、急拡大するコロナの影響を踏まえて演奏曲目を急きょ変更し、メン5・ベト8という渋いプログラムをやった。少しコロナがマシになっていた今年の2月28日には、何とマラ6という大曲をやり切った。

それで、今回。
作曲家でもある今回の客演指揮者のヤニック・パジェ氏が、関西シティフィル との10周年を記念して作曲して下さった「アマテラス」。日本の古事を題材にはしているが、その音楽的構想は、物理学者である橋本幸二氏との邂逅から生まれたもの。素粒子のファインマン図を音楽化したもの、らしい。物理学は全く分からないが、「アマテラス」のスコアを見ると、その美しさが際立つ。実際音になって、時間ととともに流れると、またスコアとは違った印象のものになるのだが。いずれにしても、とても面白かった。いわゆる古典的な調和の取れていない音階とリズムでも、調和を感じてしまう独特な魅力。個人的には8分の11の、2+2+3+2+2で左右均等でかつ音の高さが微妙に広がりはじめる辺りが、ビブラフォンの響きと併せて好きだった。

続いて、火の鳥。そういえば、韓国まで行って吹奏楽版を吹いた記憶が。たしかエスクラ担当だった。ここにもエスクラとのご縁?中学生の頃だったか、カスチェイ魔王の踊りを聴いて、「カッコいい!」と思った。トロンボーンの例の。誰しもが、カッコいいと思う曲。ところが実際演奏してみると、これはなかなかの難易度。ソリストはもちろん、2番の私も、手強い音符が並んでいた。とくにお気に入りのはずのカスチェイが、謎の高難度ウルトラC。「セカンドにこんなん書くなよ!」という至って自然な文句が出る。しかしながら、特等席で仲間のソロを堪能させてもらい、また大好きな曲でとても楽しい時間だった。仲間のソロも皆さまブラボーだったけれど、若きホルンの女性のソロが、とくに素晴らしかった。

さて、プロコフィエフの5番。これはこれは、面白かったし、楽しかったし、リハ音源を聴く限りは思った以上にはできたように思う。シンフォニーホールの素晴らしさ。全てを包み込んでくれる。全ての悪い音を良い音に変えてくれる。ありがたや。
マエストロがしきりに「ハッピーに!」と言っていた。果たして、そんなハッピーハッピーな曲なのかなと。いや、そのウラを知りながらのあの指導なのかも。
たしかに、分かりやすいといえば分かりやすいし、面白い曲だ。しかし、私は「狂気」をもっと出しても良かったかなと、思う。プロコフィエフについて詳しくはないが、彼はおそらく、変態だ。たぶん、頭のネジが抜けている。いたってマトモに見えて、実は違う。ショスタコーヴィチのほうが暗いし、ストラヴィンスキーのほうが俗っぽい。彼はそのどちらもないが、何かその、変態性に少し触れた気がした。2楽章の底抜けに明るい狂気、3楽章の葬送行進曲のわざとらしさ、全ての楽章に通じる耳障りの良さに秘めた、ウィットなのか、狂気なのか、はたまた変態性なのか。

変わり種の演奏会といえばそうだったのかもしれない。いずれにしても、面白かった。マエストロの世界初演新曲の練習を通じて、何だか作曲者の気持ちに近づけたような気がした。何故、この音符を書いているのか。そんな単純だけど難しい、分かるようで分からないことに近づけたのなら、こんなに幸せなことはないだろう。

エスクラとの格闘を優先するあまり、作品への向き合い方に後悔が残った。格闘の結果は判定勝ち、くらいかな。引き分けかも。格闘を経て得たものもある。エスクラに向き合える機会を得られたのは、プロコフィエフとマエストロのおかげだ。投資のリターンがあったかどうかは分からないが、個人の満足という意味では勝ちだろう。過ぎた時間は取り戻せないのと同じくらい、楽興の時はもう終わってしまった。

また次の楽興の時に向けて、音楽と向き合うようにしよう。


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