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婚活を始められないわたしの話 5

 Pairsを消した。これで3度目くらいだと思う。
 アプリ自体フォルダの奥にしまっていたけど、最近のiOSはSNSアプリをまとめて表示してくる。そこにあの薄ブルーのアイコンが表示されるのが嫌だった。もういいや、と思った。何一つ始めていないにもかかわらず、である。
 何度もダイエットに成功するプロダイエッターさながらである。

 こんなに他人に興味がないのに、誰かと出会って恋をしようと言うあさましい下心を持っている自分が許せなかった。
 それでも下心は止まなくて、いつでも考えているのはそのことだ。自己矛盾の中、たぶんまたどこかでわたしはその手のアプリを入れるのだろう。
 自分がとても気持ち悪い。満たされずに腐ってしまった欲望とは縁のない、凛とした人間でいられたらいいのに。

 なんで恋がしたいのだろうか。前回書いた、性的欲求のためだろうか。それから、誰かにわたしを見てほしいという承認欲求だろうか。
 承認欲求とは少し違う気がする。承認欲求は他の形、ツイッターとか、趣味のポータルサイトの掲示板の書き込みでも満たせるから。大して面白みのない些細な人間だから、いくつかの「いいね」だけで、誰かとつながった錯覚を抱いて、まあまあ満足して眠りにつける。

 だから、「承認」欲求ではないのかもしれない。を観測してほしい。他者の目にを焼きつけておきたい。それは反射して拡散した、自己保存の欲望だ。
 わたしを理解してほしいという思いと、わたしを理解しないでほしいという思い。得手勝手な不可知性で他者の世界を揺るがせたいという欲望。そうして、わたしを理解する他者のまなざしに支配され、それから他者の目に映るわたしを通して彼の世界の構成コンポジションを支配している感覚を得ることで、私はやっと外界と接触している、「生きている」と言う感覚を得られるという確信。
 とっかかりのないこの世界に、他者を通して自分の姿を焼きつける。焼きつけたいのだ。何者でもなく、何も残せないわたしは、そうやってこの世界に自分の影を残したいのだ。
 
 そうなると残酷な話で、そもそもわたしは誰のことも見ていないということになる。私が必要としているのは、世界への媒介となる、ただの道具としての他者だ。自他の境界の曖昧さのツケを、他人を通して払おうとしているともいえる。
 
 身勝手すぎる在り方だ。
 やっぱり婚活はしないほうがいい。というか、ここまできたら婚活女子でなくアーティストでも目指したほうがいいのではないか。

 
 職場に一人、わたしに何らかの執着を抱いている(と思われる)人がいる。わたしはうっかりして、彼の人生における何かのトリガーを引いてしまったらしい。
 正直なところ、その人にはさほど惹かれる部分がないし、センスのない執着は基本的に疎ましくて不気味なだけなのだけれど、おそらくわたしがその人の在り方を歪めてしまっているという事実そのものは、かなりわたしを気分よくさせる(最悪だ)。たぶんそれは、わたしが彼を通してこの世界に何か変化をもたらしたということを意味するからだ。わたしは彼の人生を多少狂わせたのかもしれない。それを時々確かめたくなって構ってしまうので、なかなか縁が切れないままなのだ。
 でもひどい話で、それが「彼」である必要は、わたしにとってはさらさらない。もちろん、それは向こうにとっても同じであることは、わたしもうすうす分かっているのだけれど。

 性的欲求の話の続きを書くつもりだったけれど、なんかまとまってしまったから今日はこれで畳もうと思う。

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