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婚活を始められないわたしの話 10

前の記事を書いてから一か月以上経っていたのですね。
夏になってしまいました。

 7月はいろいろあった。
 わたしのことをそろそろ忘れたと思っていた、わたしに執着しているらしい職場の人がまた少し付きまとってきたり、これまでも仲の良かった同僚とさらに親しく話したり、ちょっと好みの後輩から業務上の電話を受けて少し機嫌が良かったりした。

 たまたまではあるが、職場の配属の都合上、同性よりも異性と話すことの方が多い。もともと異性の多い環境で学生時代を過ごしたのもあり、その方が気楽な時もある(これは何の根拠もないが、ASD傾向のある私の話し方は男性の方に通じやすいという感覚もある)。

 とはいえ、わたしには本当に恋愛経験がない。
 そのせいか、異性と親しくなると、ブレーキかアクセルかがわからなくなってしまって、結果的に無駄に意識してしまって関係がぎこちなくなってしまうことがある。
 恋愛感情はもともと自発的にはわからないので、わたしの覚えている根源的な仲良し感情とでもいうべき親しみが、社会的に、あるいは相手にとって「恋愛感情」とみなされうるものかわからないのだ。これ以上親しみを表明したら、他者はわたしが彼に恋愛感情を持っているとみなすのだろうか?あるいは、彼自身は?

 自分だけの感情に名を付けるのは社会の要請があるからだ。そうしなければ、わたしは「感情を持った人間」として社会に参画できなくなってしまう。
 そうやって内面を社会に明け渡しながら生きている今、誰かが私の感情を恋愛感情と名付けたら、それはそうなってしまうではないか。

 そしてそのことを、わたしは恐ろしいと思う。向こうにとってのただの親しみを、恋愛にすりかえてしまうかもしれない自分、とんでもなく気持ち悪い背信を働いてしまうかもしれない自分が恐ろしい。

 一方で、わたしは単純に、「恋愛関係にある異性のいる女性」や「異性に好意を持たれる女性」に憧れている。だってそういうものにはなれなかったから。
 その憧れにただ親しみの間柄しかない他者を巻き込んでしまったら、それもまた大変気持ち悪い背信行為となるだろう。わたしの側に恋愛感情は無いのだから。ただの親しみを社会に対して「恋愛関係」に見せて見栄を張ること、そんなの、接客店のキャストの女性を同伴で連れ回すおじさんとやっていることは一緒だ(金を払っている分おじさんの行為には正当性があるのかもしれないが)。でもわたしは、純粋なエゴイズムから時々それをやりそうになって、やはりはっと身を引くこととなる。
 それをやってしまったあとは、激しい自己嫌悪に陥る。先週まさにそのような勘違い女ムーブをしてしまい、しばらくの間、行旅死亡人の公報をまとめたブログを読んで希死念慮を宥める他は何もできなくなってしまった。

 わたしはおそらく、身近な人とは恋愛関係にはなれないだろう。
 背信への恐怖心の前に、うっかりや勘違いや執着や運命や、そういう「恋愛」の始まりが入り込む余地はない。

 むかし、異性の友人の前で「わたしモテないもん」と騒いでいたところ、(おそらく気を使われてではあるが)「君には隙が無い」と言われたことがある。「そんな騒ぎ方するくらい酔ってても、寄りかかるのはいつも女子にだけだ」と。この「隙の無さ」の根源も、たぶん、他者の親愛を裏切ることへの恐怖心だ。わたしが今書いたことを、10年前に彼は言い当てていた。隙が無いということは、何も始まらないということだ。

 婚活をして特定の異性と安定的な関係を手に入れれば、逆に、わたしは本当に一般の異性と「親しい」間柄を築けるようになるのかもしれない、とも思う。それは本当に微かな希望だが。
 だけど「他者との間に恋愛を意識したくない」という目的で、婚活というゲームを開始することが可能なのだろうか?そんなの、参加の目的が見事にさかさまを向いていることにならないだろうか?

 ここまで書いて、そもそも7月の間に「やっぱり自分はアセクシャルだ」と思った、という出来事から書くべきだったと気づいたが、ここまで書いてしまったので今日はおしまい。
 HIFUいってきます!


 

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