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〔連載小説〕 うさぴょん ・その152

その 1 へ


 飯田君を追いかけてみんなで車に近づいていく。
 バルサンとか冗談を言っていたつもりだったけれど、間近で見てみると明らかに車内が煙っていた。これはまさか。
「ひゃっ」と声を上げた佐々野さんが背中にぶつかってきた。振り返ると同時に、ぴろぴろぴろぴろぴろっ、と大きな音が響く。
「うわっ、盗撮野郎」
 近くに立っていた盗撮野郎がぎょっとした顔でこっちを見てくる。ぱんっ、と破裂するような音がして振り返ると車内に炎が見えた。
「うわっ、火事や」
 飯田君が叫んだ。
「なんで車が燃えんねん」
「あれ、ええっ、ちょっと」
 盗撮野郎は車をほったらかしにしたまま向こうに走っていく。
 と、その時、どこから出てきたのか、僕たちの横を2人の男の人がすごい勢いで駆け抜けていった。2人は盗撮野郎を追いかけて走っていく。
「なんやこれ、何がどうなってんねん」
「先輩、僕、通報します。先輩は近所の人に知らせてください。宇佐美君と佐々野さんは消火器探してきて」
 本当に何がどうなっているのか分からないけど、火事が起きていることだけは間違いない。
 消火器、消火器、どこにあるのだろう。周りを見回してみたが、そんなに都合よくは見つからない。とりあえず近くにあった会社に入ってみることにした。
 佐々野さんと一緒に建物に入って「すみませーん」と呼んでみると、奥からおばさんが出てきた。
「あっちで火事です。あの、消火器はないですか?」
「えっ、火事?」
「車が燃えてます」
 血相を変えたおばさんは奥に戻って、すぐに消火器を持ってきてくれた。
「あの佐々野さん、これは僕が持っていきますんで、また別のを探してもらえますか?」
「はい」
 消火器を抱えて建物を出ると、ぷーっと、燃えている車から悲鳴のようにクラクションが鳴り続けていた。大野先輩は向こうの方でインターホンを押して回って火事を知らせている。鼻につく嫌なにおいがした。車は前のドアのガラスが割れてしまって黒い煙がもくもくと上がっていて、ボンネットの前からも煙が上がっている。
 飯田君はといえば、なんか道路に駐車している車を誘導したりしている。あれは消防車が来た時のためだろうか。ということは手が空いているのは僕だけで、僕がこの消火器で消火をしないといけないみたいだ。
 まず、消火器の使い方を確認した。黄色い栓を抜き取る。いつでも噴射できるようホースの先を前に向けて持つ。レバーを握れるように手をかける。風はそんなに強くは吹いていない。煙は車の前から後ろの方に流れている。車の前の方からそろそろと近づいていく。遠くで鐘ありのサイレンの音がしている。近づいてはきているが、まだ距離がありそうだ。
 火事の動画、というか消防車が出てくる動画をいくつも見てきた。まずいやり方の初期消火もいっぱい見てきた。とはいえ、目の前で火事が起こってみると、なんだかどうしていいか分からなくなった。車に近づいていくと熱気を感じて手が震えてしまった。ちょっと怖いな、と思う。
 ただ、車は確かに燃えている。間違いなく火事だ。火事を放っておいていいことなんか何もないし、消防車が来るまでに少しでも火の勢いを弱めておいたた方がいいのだろうけど、怖くて近づけない。こんなところから噴射しても炎に消火剤が届きそうにないけど、どうしよう。
 その時、ふと思いついてしゃがんでみた。いけるかもしれない。サイレンの音が少しづつ大きくなってくる。鐘ありはもちろん、4秒のサイレンも聞こえている。僕はホースを窓の方に向け、しゃがんだまま近づいていく。そしてもうこれが限界かも、と思ったところで強くレバーを握った。
 思っていたよりも勢いよく消火剤が噴射されて、ちょっと驚いて、その拍子に思わず立ってしまったが、消火剤の噴射で熱気が弱まったように感じるのは気のせいか。いや、そうではない気がする。僕は車の中に向かって目一杯消火剤を噴射した。多少ではあるけれど火の勢いが弱まってきたところで、佐々野さんが隣に来て、同じように消火器を噴射した。
 使い切った消火器を抱えて佐々野さんと車から離れると、消火器を持った人が何人か集まってきていた。飯田君に案内されるようにこっちにやって来る人は僕の持っているのとは違う大きな消火器を持っていた。あれは何だったか、確か工場やガソリンスタンドなんかに置いてあるやつだ。
 そうこうしているうちにサイレンの音が大きくなってきて、水槽付ポンプ車やらが来て、飯田君が車を移動させたところ停車する。すぐに放水が始まって、ぶわっとすごい煙が広がった。
「うさぴょん、大丈夫かあ?」
「はい、まあ」
「なんか、灰かぶりみたいになってんぞ」
「へえっ?」
 頭についていた燃えかすみたいなものを大野先輩が取ってくれた。
「一生分のピンポンダッシュやったぞ」
「学校に連絡いって停学ですね」
「お遍路の前に留年やな。あっ、佐々野さん大丈夫ですか?」
「はい、なんとか」
 いつの間にか人がいっぱい公園に集まっている。
「結構消えへんもんやな」
「そうですねえ」
 車への放水は続いていて、火はだいぶ弱まったものの、ボンネットの下はまだ燃えているようだ。
「さっきの盗撮野郎はどうなったんやろ?」
「さあ」
「あーあ、悪いことするときは消化のええもん食べてぴーぴーにならんようにせなな。あれっ、飯田は?」
「その辺で写真撮ってるんとちゃいますか」
「写真部の鑑やな」
 飯田君は向こうで写真を撮っていた、はずだがいなくなっている。どこで写真を撮っているのだろう。
 水槽付ポンプ車やらポンプ車やら指揮車まで来ていて、パトカーも来ている。ていうか、火事にしてはパトカーも警察官も多くないか。警務車はもちろん覆面パトカーまで来ている。しかもざっと見回した限りでも覆面パトカーが3台もだ。救急車の音もしていたがこっちとは関係ないのだろうか。それに遠くからまだサイレンの音が響いている。近づいてくる感じもする。どうなっているのだろう。盗撮野郎の件があるしにしてもちょっとこれはどういうことだろう。
 大野先輩が空に向かって両手でイェーイという感じでピースサインをしている。
「何してるんですか?」
「あれ、ニュースにするネタを撮ってんにゃろ」
 先輩はヘリコプターを指して言う。
「えっ、あれは消防のヘリコプターですよ」
「えっ、そうなんか?」
「そうですよ」
「なーんや。あっ、もしかして、電車止まってへんか?」
「へえっ?」
 そういえばさっきまでひっきりなしに通っていた電車が全く通らなくなっている。煙がすごいからだろうか。線路に火が回っているわけではないが、煙で前が見えない中に突っ込んでいくわけにもいかないのだろう。
「また電車止めたな」
「止めたなって、僕のせいとちゃいますよ」
「いやー、公園と電車。うさぴょんの鬼門やな」
「なんですかそれ。もう」
 向こうでは消防署の人や警察官、消火器を貸してくれたおばさんなどが集まっているが、おばさんはこっちを指さして何か説明しているように見える。
「事情聴取ですね」
 と、佐々野さんが言った。
「消防署の人も手帳持ってんのかな?」
 と先輩が言う。
「またあれやるんですか?」
「なんか疲れたな」
「これからもっと疲れますよ。いろんな経験ができそうで良かったですね」
 と僕は言った。 


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