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〈128〉大人の意図が子どもに伝わらないのは、大人の問題

学童保育でもそうなんです。

本棚の本を読んだ。出したところに戻さなかった。

「元の場所に戻してよ」

ではないんです。

「この本棚から出した本は、ここに戻してね」

と言ってあげたかどうかなんです。

さらに、子どもたちの発達特性を踏まえた上で、戻す場所を最初から"元の場所"ではなく"この棚"ならいい、というところから始めるのか、「ここに戻そうか」と支援員の介添えが必要なのかなどを考えます。

玩具の片付けも、部屋の利用の仕方もみんなそうです。

相手がわかるように説明を尽くしたのかということなのです。

これをきちんと配慮できる人って、実はあまりいないのではないかと思います。

筆者も、そこまで説明するのか?そこから説明しなきゃいけないのか?とよく思っていました。



それが、自分の子どもを通して目が覚めた、理解したエピソードをご紹介しましょう。

筆者の子どもが同級生との関係に悩み、そのうち担任の介入の失敗をきっかけに事態が悪化していきます。

それ以前から、担任には相談できないと言う子どもに、他の先生でも保健室の養護教諭でも自分が信用できる先生に相談するよう、家庭では伝えていました。

養護教諭は年度変わりで新しい人が着任しており、信用できる大人かどうか見極めようとしていることは、子どもの言動から知っていました。

子どもは同じ同級生への困り感をもつ友達と、休み時間に保健室を訪れ、養護教諭と他愛もない話をしたり、養護教諭が用意していた折り紙やゲームをするのを数回した後に、ようやく自分の身に起きたことを話すことができました。

養護教諭は「いつでも相談しにおいで」と言ってくれましたが、ある日保健室にいるのを担任が見つけ、子どもに「具合が悪くないなら、保健室に行ってはいけない」と言います。

子どもはこの翌日、相手児童の悪質な言動を受けた後、頭痛と嘘の申告をして保健室へ行き、されたことへの恐怖と不安、嘘をついて保健室へ行った罪悪感で泣きました。

後日担任は、「元気な時に利用しないで。元気ではない人のための場所だから」という意図があったと言います。

確かに心身共に元気で、遊びに行こうぜ!の場所ではないと思います。

しかし、筆者の子どものメンタルは既に健康ではなかったわけで、一連の流れの中で言われたことで逃げ道を絶たれたわけです。

大人の言い分が間違いでもないことだったとしても、子どもがその意図を理解できない、違う捉え方をしたら、その責任は大人にある。大人が悪いのだと、筆者は身をもって理解しました。


ここからは看護師として書きますが、

心の健康は目に見えません。

不調に自分で気付いてから保健室に行ける子どもなんていません。

悩み相談を目的に初めて保健室へ行くなんて時点で手遅れです。

だから元気な時にも養護教諭と接点を持っておくことが、信用ならない者が担任の時はなお重要なのです。

ましてやスクールカウンセラーが常態していない学校なら尚更、養護教諭の役割は重要です。

そもそも「元気なら行くな」から間違っています。

そして、口では簡単に「心の健康のための保健室でもある」と言いますが、誰かに悩みを打ち明ける前に信頼関係構築のステップがあることへの認識が教師に足りません。

メンタルヘルスへの認識が無いのなら、有る者を学校へ配置すればいい。適切に介入できる者を配置すればいい。


この件の本当に最悪なところは、上記のような訴えをしても、担任の「安易に保健室へ行くな」は変わっていないところなんですけどね。


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