見出し画像

7歳のときのこと

わたしは自分自身を、“たましい的なもの”みたいに認識している。形はない。

だって普段、自分自身の体は見えないし、
見えている映像や音、自分の感覚だけで手一杯。

この体は入れものみたいなもので
わたしはその中にいる。



七五三のとき。

着物を着せられて飴を持たされた私は
車で写真館に連れて行かれた。

なんかやらなきゃいけない おめでたい感じの
行事らしい。

しかし、よくわからない。

写真撮られるのもイヤすぎて、
とんでもなく仏頂面の写真が出来上がった。


写真を撮った後おばあちゃんに
「女の子は着飾るとやっぱりかわいいね」
と言われて、頭の中がハテナだらけになった。

なんなんだろう。
もちろんおばあちゃんに悪気などない。

でも、わたしの表面を、商品を見るかのような目で見られた感じがして怖くなった。

ただでさえ写真を撮られまくって
不貞腐れていた私は、
なんかわかんないけどぜんぶムリになった。

この行事はいったい何なんだ。
わたしは昔からいらんことばかり考えている。



わたしはたましいみたいなもので、
これはわたしの入れもの。

だから何かが気に入らない。

なぜわたしは女?


そう思っていたけれど、
最近はどうだろう。

スカートとかピンクとか写真を撮られることとか恋バナとか女子力とか、

そういうものから逃げ続けていたわたしも中学生になったら渋々ながら制服のスカートを履くようになったし、高校生くらいからはちゃんと写真にも映れる。

今はメイクもするし、それなりに小綺麗にして出かけたいし、3日前にまつ毛パーマもかけている。パリジェンヌラッシュリフト。


今のわたしは別に、
自分の性別に疑問を持っていない。
それって、慣れちゃったからなのだろうか。

あんなに嫌だったのに慣れちゃったのだろうか。

わたしは長いこと考えた。



考えた末に、わたしはそもそも
「自分の性別がイヤ」だったのではなくて、
「そういう目で見られたくなかっただけ」
だとわかった。

たったそれだけなのに、
随分長いこと考えていた気がする。

たったそれだけだけど、この気づきは大きい。

そういう目で見られたくないから
「女っぽいことを避ける」ことしかあの頃は思いつかなかった。

女っぽくありたいわけでもないし、ありたくないわけでもない。ただ、そういう目で見られたくないだけ。

でも、それ以上は、だからなんだというんだろう。

ここから先はまた、
長いこと考えるしかないのかもしれない。



いただいたサポートでなにかすごいことします。