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公務員だって自分のキャリアくらい考えてもいいじゃない(Vol.2)

おはようございます。
4時30分起き3日目、日々頭の中大渋滞の花岡です。だんだん起きるのが苦じゃなくなってきた感はありますが、これで気を緩めると文字通り3日坊主なので気をつけないと╭( ・ㅂ・)و ̑̑

昨日の投稿の中で「一般的な公務員のキャリア」と「そこから少し外れた花岡のキャリア」、「公務員の異動について思うこと」について書きましたが、その続きを。


南相馬への派遣

僕が杉並区から南相馬市へ2度派遣される過程をざっくり書き出してみる。

【1度目(杉並区 情報政策課→南相馬市 企画課)】
・情報政策課で杉並区全体のシステムをホスト系からオープン系に刷新する特命係に配属される(係長と自分の2名チーム)

・全庁で使用するシステムの全面刷新のため、まず業務の”見える化”が必要であり、各課との連携・協力体制を敷く必要があると上申したところ、却下。

・上長との面談で、仕事の推進に必要な旨改めて説明するも「私がこのポジションにいる間は大々的には動かない。動かすつもりもない」と言われる。

・それなら、と以前から行きたいと考えていた南相馬への派遣希望を出す

【2度目(杉並区 地域課→南相馬市 観光交流課)】
・南相馬から杉並へ帰庁し地域課へ配属。
(新しいシステム導入を担当)

・2年間でシステム導入を終え、係長試験に合格。(結婚もこの時期)

・システム導入の仕事に目処がつき始めた頃から、人事課へ再度南相馬へ派遣させてほしい旨相談 → 担当係長から「えぇ…係長職になったばっかりなのに…?(困惑)」という反応をされる(笑)
※担当係長はプライベートでもお付き合いのある方だったので、臆面なく相談させて頂いた(板挟み的な感じになったであろうことは想像に難くないので、申し訳ない気持ち)

・人事課とは何度も相談を重ね、最終的に「地域おこし協力隊として応募することや別投稿で触れる一般社団法人の一員として活動することなども視野に入れている」「派遣が叶わないのであれば辞職し、民間の立場で南相馬へ行こうと思っている」と伝える

・杉並区として初めて、2度目かつ家族を連れての派遣となる

1度目も2度目も、自分の意志で上司や人事、職員組合などに相談した上で、派遣希望を出し、結果として希望通りに派遣させてもらうことが出来た。このことは本当に杉並区に感謝しているし、幼少〜20代を過ごした杉並区は今も大好きな地元。

ただ、2度目の派遣相談(交渉)では、「え?派遣できないなら辞める?本気?」という言葉の裏に「役所を辞めて他に行くことなんて考えられない」というニュアンスを感じた。

当然そこには「相談してきている職員個人の将来が心配である」という気持ちが含まれているのだろうけれど、「公務員が自分で(職を離れることも含めた)キャリアを考え、選択する」ということに対して、ポジティブに捉えていないことが感じとれた。

これは人事サイドだけの問題ではなく、前回書いたように、公務員一人一人や社会全体として皆がそう思っているからこそ、人事サイドも「公務員がより良い(希望に叶う)職場を求めて離職・転職するかもしれない」という危機感を持てないのだと思う。


新たな公務員のキャリア形成のために

じゃあ花岡が考える「公務員が自分でキャリアを選択できるように」という状況ってなんだ、という話。

これに最も近いイメージなのが、元品川区役所職員で現サイボウズの蒲原大輔さんが考案し進められている「公務員のレンタル移籍制度プロジェクト」

一度、僕が副代表をしている一般社団法人アスミーのイベントにお越し頂いたけれど、とても共感している。
具体的な制度設計の部分以上に、制度の土台となっている考え方(今風に言えばパーパスかな)が、自分が日々感じているモヤモヤをスッキリ言語化してくれているので、是非ジョインしてみたい。

彼の行政の人事制度に対する考察や活動はとても興味深いので、以下のエントリーも繰り返し読み返している。

今日もまた長くなってしまったのでここまで。
僕の頭の中にあることは1つ。

個々の公務員がもっと自分のスキル・能力、志向に応じて、(自治体も越えた)キャリアを柔軟に選択できるようにならないか

ということ。

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