大部分を闇が占めていること

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。林 荘太です。今回は、前回の『Lighter』の末尾で、次に書くと言っていた「大部分を闇が占めていること」について追記いたします。

 大学2年生の11月20日、私は三菱一号館美術館で開催されていた『ヴァロットン 黒と白展』を見に行きました。この展示会を知ったのは、大学の事務室前に置かれている都内各所の美術館、博物館で開かれている展示会告知のチラシを見たことによりました(私は大学へ行く度にそこを見ています)。そのチラシは、版画で刷られた横幅重視の作品がいくつか載っているものでした。その時何に惹かれたのかは、全て定かではありませんが、黒と白の2色のみの世界に、それ以上の「色」を感じたから、なのではないかと考えています。もっと具体的に言えば、その「色」というのは、物理的な色そのものでもあり、また、画が総合的に演出する、機敏に動いたり、淀んだり、さらには、黙ったりする空気模様でもありました。この展示会は、私が行ったいくつかの展示会の中でも、間違いなく一番と言える、運命的なものを感じた会でした。私の中にいただき、確認した不思議な作品たちの力を、皆様にご紹介したく思います。その前に、これらの作品を生み出す Felix Vallotton氏のことを書かねばなりません。

 Felix Vallotton氏(以下、Vallotton氏)は、1865年、スイスのローザンヌに生まれ、19世紀末から20世紀初頭にかけて、パリで活動した画家でした。彼の特徴は、スイスに生まれながら、スイスを出、芸術の都パリで活動し、躍動するも、異邦人であるからと、どこか煙たがられるその空気、ひいては、そこら中にうごめく、街と人が織り、成す、空気を敏感に感じとる繊細な神経、そして、それらを独自の斜から見る皮肉的な性格にありました。そのため、よくえがいている自画像も、その神経過敏をよく伝えました。

 展示会場に踏み入ってすぐ、この展示会に妙に惹かれた訳が分かりました。色以上の「色」が出てきたり、空気模様が認められるという理由だけではなかったかもしれませんでした。私は Vallotton氏とおそらく、性根が似通っていたのです。僭越な見方になりますが、Vallotton氏は、自分と同じような感覚で見、同じようなことを考えているのかもしれませんでした。Vallotton氏の特徴を兼ねた理由の1つに、その物語体質がありました。私は見る時、自動的に物語をあたまの中に排出してしまっており、それを作品にしようとしています。そのため作品をつくる際は、それにプラスして、喋る静物をメインの周辺におく、つくり出すことを意識しています。また、メインも、静止していながらも、1コマおくると動く、そして何かする者や物をテーマにしていることが数多いです。 Vallotton氏は、おそらくそういう風にしか世界を見れない、見てしまう人、そして、時にそれにクソほど歪んだものを理由づけする人だったのだろうと思わされました。2つ目に、今回のテーマであった闇(黒)の使い方がありました。私は、自分がそうしているんだということを、Vallotton氏の作品を見て、気づかされました。Vallotton氏の作品は、白と黒という2色で生み出されるコントラストの意味が、作品間で明確に違っているのです。

 例をあげます(画自体は、私が思うに感動モノなので、是非ご自身で検索してみて下さい)。アンティミテシリーズの『お金』という作品は、黒(白)の使い方がとても顕著な作品になっています(領域面積がとても大きいので)。この作品では、男性の黒い部分と部屋の黒が一体となっています。これは、男性の闇が空間全体を支配する黒となっている意味をもちます。部屋の中の負の空気が、それを後押ししているようにも取れます。一方、白い部分にも注目です。少ない面積にも関わらず、力強さと、飲まれない軽やかさがあります。それは、壁のレンガが助長しているのだろうと感じます。このリズムを得て、ようやく黒い闇から避難し、息をすることができるのです。あともう2つ、例をあげます。これが戦争だ!シリーズの『有刺鉄線』という作品は、晩年の作品にしては、白の部分が多いです( Vallotton氏の作品は、初期から晩年にかけて黒の面積が増えていきます)。しかし、これはただの白ではなく、明確な意図をもった白だと思いました。夜とのコントラストを生むことはもちろんなのですが、抗争直後の静かの中に、違和感とともに浮いてしまう、殺された兵士たちのむごさを全面に押し出しているように見えたのです。この白は、そのコントラストにより、黒と対極しているはずなのに、限りなく、黒に溺れた悲しい白でした。アンティミテシリーズの『きれいなピン』という作品は、メイン(図)と地にあてはめる黒と白、その役割がとても細かく設定されている作品だったと考えています。アンティミテシリーズでは、どの作品も「背景」となるものの設定が細かくなされていますが、『きれいなピン』は特にそれが絶妙だったように思いました。リズムを生むカーペットの模様や、細工の丁寧な椅子などは、どこまでも白く、一方で、テーブルに置かれた花々やベッドのシーツは、どこまでも黒く、息をひそめているようでした。この画のメインは、抱き合う2人の男女ですが、黒の領域は男性そのものを表しており、白の領域はけがれのない女性をそのまま表しているように捉えられました。「背景」をつくる物の置き方をこれほどまで操ってしまう作家がいたのか!と、震えあがったのを憶えています。

 いかがだったでしょうか。私はこの闇(黒)と光(白)の表現に、心奪われてしまいました。闇と光は、その場の空気を最も握っているのではないかと推測しています。その空気は、空間と人の機微が一体となって、私たちの感覚を伝わってきます。私が考える第6感の正体です。闇は、物理的に暗いというだけでなく、その心の黒を、他方で、光はその心の白を表し、空間と心のコントラスト(スペクトラム)は、互いに共鳴し合っているのだと考えてしまうのです。その数や面積の力、コントラストとスペクトラムを理解することで、感動というものをさらに深めることができるのではないかと鑑み、実践したいと考えています。私の作品を通して、その力をたのしみ、思い思いに感じていただくことを望んでいます。

 おそらくこの展示会は、今後、再び別の名前で開かれるのではないかと思います。皆様。是非足を運んでみて下さいまし。

 では、いったんこのへんで。さようなら。ここまでお読み下さった方、ありがとうございました。

二伸

 ローザンヌとパリとを連ねて行き、Vallotton氏の思惑をもっと知りたい。絵画作品もあわせて見尽くしたい。どうなっちゃうんだろう。

                林 荘太

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