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心が疲れたときの対処法を社会人歴10年超えてやっとわかるようになりました

メンブレした。

そして思い切って1週間休んで、やっと胃にいた誰かがいなくなり、笑ったりして自分を取り戻した。料理ができるようになった。他の家事はできても料理、が本当にできなくて1週間キッチンは荒れ、こどもには生命維持のための適当なものを与えるだけだったが、それでもこどもはにこにこ元気いっぱいで、ママ泣かないで、に救われた。

メンブレの理由は一言で言うと中間管理職が抱える重圧だった。実はここまでなるのは人生初めてかもしれない。今回学んだことは、ひたすら逃げていい、自分を守れるのは自分しかいない、という当たり前のことだった。

これまでいくつもの職場で、同僚が心の元気をなくしてしまったのを何度も近くでみてきた。そのたびに、加害者は自分に責任が及ばないこと、労災にならないことを必死で考えるやつらだ。そんな神様でも王様みたいに権力も金もたいしてもたないやつのために、人生棒に降らなくて本当にいい。

レジリエンスが大事と言われる世の中であるが、ちいさいころから長所は「勤勉、まじめ、思いやりがある」とされてきた評価は、この理不尽が連続する社会においてなんの強さも発揮しないことを今更知る。メンタルの強さを自負していた自分だけれど、そんなの自負したところで一銭の価値もないんだ。

でもこういう性格だから休むことすら、つらかった。家族の後押しでなんとか、休みます、メールを打つことができた。脳裏によぎったのは、これまで近くで見てきた、さまざまな事例だ。

◆当日消えたリーダーの話

大企業で優しい人の多い、働き方も落ち着いた職場だった。そこに業務改革の波が突然訪れ、19時には退社していた人たちが深夜まで残業をするような職場に一瞬で様変わりした。プロジェクトリーダーをつとめていた40前後の男性。直属ではなかったがとても優秀な人だと思っていた。その人がいないとはじまらないプロジェクトのとても重要な朝、現れなかった。私は新人ながら衝撃だった。彼はそれから1週間休んだが、何事もなかったかのように、会社は動いていた。

◆ストレスの感じ方は人それぞれだと言うことを学んだ20代の話

メンタルや体力の強さを自信にしていた私はひまな定型業務の多い配属先で、イライラしていたし将来に絶望していた。そんな私にはひとの5倍くらいの仕事がきたが、それでも成長できないと悩み、まだおかわりください的な永遠ワンコそば状態だったし、週末は友達に不満ばっかり言ってた。同じ部署にいた同期の子は、とても真面目で丁寧な仕事ぶりが評価されていた。しかし、その子が突然こなくなった。正直「え、この仕事量で?」と思ってしまった当時の私を殴りたい。1年後復帰したその子は元気そうにしていて安心したが、「人による」という想像力が本当になかったし、身をもって学んだ。

◆激務な職場でみたタフなおじさんでも折れる場面

永遠ワンコそば状態を脱すべく、忙しいという噂の職場に意気揚々と転職した。心も体も筋肉質の超ドM体質の人しかいない職場だった。自分もワンコそば状態を脱せたのは嬉しかったが、過酷は過酷で、なんどもゲキヅメされて、トイレで泣いたしものを無くしたり、落としたり、今思うと休まずにどうやって生きてたんだという職場だった。

そんなとき、巨大な金額と数百人が動く大きな職場にアサインされた。私はぺーぺーだったので秘書的な業務が多かったから気楽だったのだが、そのときのリーダーはこれまた優秀でそれでいて気配りがピカイチのおじさんだった。人間味あふれるそのひとをとても尊敬していたし、こんな下っ端に声をかけてくれることがうれしかった。あるとき、そのおじさんが消えて大騒動になった。

自分を守ったんだな、と今なら思える。それでいいんだ、と思えるし、人間社会みな最後は死ぬのだから、できるだけ自分に優しく、楽しく生きようじゃないか、ととても感じた。典型的ラテン人なコロンビアの友達がいつもいっている、「人生は短すぎてストレスを感じているひまはないよ」

自分を大事にしよう。そしてちょっと疲れた人には、休みなよ、と全力で言いたい。




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