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スウェーデンに”異文化体験”を期待するな 【留学記#1】

様々な価値観や文化に触れて
異文化理解を深めたい!

なぜ留学に行くのかを聞かれたときに僕がよく答えていた理由だ。

慣れない環境で、話す言語も生まれも育ちも人種も違う多くの人と生活や勉学を共にする。
その中で今まで気づかなかった多種多様な価値観や思想に触れ、視野を広げ視点が変わる。
それらを相対的に捉えて自身の文化や価値観の理解を深める。

これが留学の醍醐味だと思っている。だから、月並みなだけどもそれなりに真っ当な理由ではある。

つまり僕はこのスウェーデンという異国に対して、
”異文化理解”や”異文化体験”なるものを少なからず漠然と期待をしていた。

でも、3週間ほど生活して甘ったれた考えだったなと痛感している。
今回はそこで気づいたことを書ければなと思う。


ーはじめにー

僕は今、スウェーデンに留学に来ています。
期間は10ヶ月ほどで2021年の8月から2022年の6月まで。
こんなご時世ですが、家族を初め多くの人に助けられて貴重な機会を得られました。
せっかくなので思ったこと感じたことを、誰かのためではなく自分のために言葉にしておこうとnoteに記しています。
後で振り返って「この時はバカだったなあ」と言えるようにしたいので、今思ったことを思うままに書けたらなと思います。


留学生活の始まり

2021年8月16日。
少し怖いくらいに人気が無い成田空港を発ち、コロナを感じさせないほどごった返すカタール・ドーハ空港を経て、コペンハーゲン空港に到着。電車を使ってスウェーデンに無事入国する。(国境を越える際アジア人だけ電車を降ろされたけど)
初めてのヨーロッパに緊張しながら、現地学生のサポートを受けつつ寮を目指す。

やっと一息つけると安心して寮の部屋のドアを開けると、いきなり4人の留学生に向かい受けられる。
その瞬間やってしまった、と思った。

僕の寮は、リビングとキッチンに個室が5つ付いている形式の部屋だった。つまり、個室を出ればすぐにシェアハウスのようになる。
これは調べが甘かっただけなのだが、もっとお互いの距離が遠くプライベートが確保されると思い込んでいた。だから正直これからの生活に不安しかなかった。

そしてその晩は一緒にご飯を外で食べよう、と誘われる。
正直時差ぼけもあり疲れていたが行く以外に選択肢はない。30分ほど歩いて市内に足を運び、レストランで食事を取った。

次の日も寮で一緒に食事をする。
ルームメイトが用意してくれた料理をみんなで分けて食べた。

正直、辛かった。

これは完全に僕の英語力の問題だが、コミュニケーションがほとんど取れない。
何を話しているかわからない。質問されても話せない。
会話ができないやつのレッテルを貼られ、話を振られなくなる。

次第にルームメイトと過ごす時間は減っていった。
話す時間を減らすために部屋に閉じこもって、一日一食になる日もあった。

でも彼らは次の日も、そのまた次の日も夜から外出してパーティーやらいろんなイベントに参加している。どんどんと友人を増やしていく。

ああ、言葉が通じないとこんなにも何もできないのか。
異文化を知るにも、言葉が通じないと意味ないじゃないか。

そんなことを思いながら数日過ごしていた。


異文化とはなんぞや

自分を恨んだ。言葉の壁さえなければ。もっと英語をやっておけば。

そんな時ふと思った。
いや、でも本当にそれだけだろうか?

確かに、会話ができないことを言い訳に逃げているのは事実だ。
でも仮に言葉が通じたとて、彼らと一緒に毎日20時からでも外出し深夜まで遊ぶ生活を送っていただろうか?

正直、それはないだろう。

もともと一人の時間は確保したいし、人見知りであまり仲良くない人とは過ごしたくないし、飲み会も苦手だし、夜はたくさん寝たいし。
それが20年間生きてきてあまり変わらない僕の性格だ。
異文化理解をしたい、と言っても果たしてこの性格を変えることが果たして正しいのだろうか。人見知りはともかく、生活リズムや嗜好性は正直変えたいとは思ったことはない。

となった時に少し思ったことがある。

そもそも異文化とはなんだろうか。
果たして言語や国を超えたところに”だけ”異文化はあるのだろうか。
ルームメイトとは生まれも言語も違うが、そこにだけ文化の差は生まれるのだろうか。

いやそんなことはない。
異文化なんて、そこらじゅうにあった。

コロナ禍だろうが馬場で飲んだくれていた人も、サークルでダンスなどに精を出す人も、意識の高そうなインターンや企業にずっと向かう人も、僕にとっては異文化の人間だった。
でも、彼ら彼女らとは関わろうとしなかったし、したいとも思わなかった。違う文化が目の前にあったのに知ろうともしなかった。

結局、僕は異文化を理解をしたかったのだろうか。
目の前には異文化が広がっていだけど、結局居心地の良いことしかしてこなかったではないか。

僕は本当に異文化体験をしたいのか、ずっと信じていくものが崩れていく感覚があった。なんで留学をしたいのだろう、自分は何がしたいのだろう。

正直現時点ではそれはわからない。

でも、せっかくここまで来れたのなら、少し辛くても挑戦したい。
10ヶ月を過ごしてく中で、何か少しでもよかったと思える時間を過ごしたい。これだけは確信を持って言える。



つまり今思っていることをまとめると、

異文化はスウェーデンにだけ、海外という環境にだけ存在するのではない。
日本にだってどこにいたって、異文化は自身の目の前にある。

でも今までは居心地の良い場所に居座っていた。
今まで自身にとって違和感であるその”異文化”を避けてきた。

環境に頼っているだけじゃ何もできない。環境は何も変えてくれない。
もし本当に”異文化”を体験したいなら、結局は自分が、自分の文化から足を踏み出す必要がある。


とまあ、辛いながらに少しは気づきがある時間でした。

これからも純粋に楽しめるようにもう少し心が躍る方に進みながら、たまには少し居心地の良い場所を飛び出しながら頑張ろうと思います。

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