『さよならたりないふたり』を観て
「さよならたりないふたり」という漫才ライブを観た。
たりないふたりはオードリー若林正恭と南海キャンディーズ山里亮太の漫才ユニットで、約5年ぶりに復活した。そのライブを観た。
とにかく面白かった。
若林さんは予告していたように愉快犯的に漫才を進め、普段のMC業という枷から解放され悪戯に状況を混沌と変えていく。それに対し山里さんはひとつひとつの言葉を的確に撃ち落とし応戦していく。
僕達見る側の人間は面白いものをみようと前のめりになっている。その状況で面白いものを長時間見せ続けているのだからすごいとしか言いようがない。
タイトルの「たりない」とは社交性、恋愛、社会性がたりない。人間としてたりないという意味の「たりない」。
しかし今、彼らはレギュラー番組を多く持つ売れっ子である。さらに山里さんは女優と結婚している。たりていると指摘される人間になってしまった。
その現状は今までたりなさを武器としてきた山里亮太という人間から武器を取り上げる形となった。その現状を若林正恭は指摘する。そこからは山里亮太の独白となった。武器を取り上げられた、武器が通用しなくなりつつある今をどうすべきなのか。
その独白をもって「さよなら」ではなくなった。
そして2人は今の立場になったからこそ感じる「たりない」を語り始める。
ライブは終わり、僕は面白いものを見届けた充実感と自分のたりなさを噛みしめる。
ライブを観た人、僕でありあなたはきっとたりない。
僕らはきっと仲良くなれるだろうし、だからこそ拒絶しあう。
無いものねだりで最低のろくでなしは続く。たりないは続く。
ここまで書いていたのが11月21日。
若林さんが結婚しました。
そんな今このライブを思い返すとタイトルも内容も伏線のように感じてしまいます。もう一度あのライブを番組として観ることができることがうれしい限り。
贅沢をいうのならまた状況が更新されたたりないふたりを観たいですね。
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