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あきらめること

「こみつは、数学、あきらめなさい。」

高校受験を控えた冬の寒い日に、数学教師に言われたひとこと。
当時の私は、数学で苦手で仕方なく。
定期テストの点数は赤点にならないぎりぎりのライン。
何度聞いても理解できないことが多かった。
通信教育を受けていたので、かろうじてなんとか基礎は分かるような気もするが、「なんでこんな公式になるんだ」とか「本当にこれが正しいのか」という疑問ばかりが生まれて、前に進めなかった。
今となっては「数学はそういうもので、公式の理由は分からなくても、覚えて当てはめればいい」と思えるようになったけれど。(数学を正しく理解している人たちに怒られそう…)

あきらめなさいと言われたとき、
(先生もついにめんどくさくなったか…。こんな不出来な生徒に教えるのは嫌になっちゃうよなぁ)
と、思って。先生ごめんねっていう気持ちと。
あきらめていいんだ!わからなくてイライラしたり悲しくなったりしなくていいんだ!っていう気持ちで。
後者の方が大きいよね、数学から解放されて嬉しい気持ち。

それからしばらくして高校受験があった。
私は無事に志望校に合格できた。
その時の数学の成績は良くなかったけど、今思えば他の教科が伸びていた。

当時は気付けなかった、先生の真意。
「あきらめなさい」は苦手なことを頑張るんじゃなくて、得意を伸ばす時間を増やしたほうがいいっていう意味だったんだろう。
そして、それに私は気付けると信じてくれていたのだろう。
あれから何十年と経っているのに、気付いたのは最近だよ、先生。ごめん。

苦手を無理に頑張っても、成果が出にくいことがある。
スキや得意の伸びしろを埋めていって、新しい伸びしろを見つけていく作業の方が有意義なこともあるよねっていう柔軟性は何事においても大切かもしれない。

子供が食べ物の好き嫌いしても、それ食べなくても大人になれるしなーと思ったりとか。
整理整頓が苦手で部屋がいつもごちゃごちゃしてるけど、ちゃんとカゴに入ってるからいいかーとか。
できることを増やせば、「できない」より「できる」が増えるだろうし、「できる」が増えたら自信が付く。
「できない」を重ねると、自分って駄目なやつだなってなってきちゃうもんね。
着眼点を変えるだけで、内容は変わらないのに。
意識って大事。

ああ、でもね、数学あきらめて高校に入ると、高校の授業についていけなくて毎回テスト前は泣いてたよ。だから、基礎は身に付けなきゃだめね…。

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