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そこから先は趣味の世界だから。
そんな世界線が存在する(多分使い方を間違えている)。
仕事で「そこから先は趣味の世界だから」という台詞をよく聞く。議論が煮詰まったり、アウトプットの質が一定程度まで達した場合に、自分はそれ以上もうこだわらないから、仕上げの工程についてはあなたに任せるよ的な意味合いで使われている。
社会人になって初めて聞いたとき、どんな世界だよめっちゃ楽しそうだなと突っ込んだ。今でもたまにそう思う。でも自分もたまに使う。趣味の世界と言い放っておきながら、実は譲歩だったりする。「ぼくの考えが100%良いとは思っていないんだけど」という枕詞の可能性もある。だから本当に自分の趣味のままに仕上げると採用されない。これを不条理と呼ぶ。
いわゆるビジネス用語に関しては未だにアンテナが敏感だ。「温度感」「スケジュール感」の「感」って何だよお前出てくんなよと思いつつ、「まずはあちらの部署の温度感を知りたいですね」とかつい言ってしまう。ぬるま湯ぐらいかなと思って手を入れると沸騰していたりする。
誰かに何かを頼まれたときも「スケジュールを教えてください」ではなくて「スケジュール感を教えてください」と言ってしまう。相手から「来週の半ばまでにお願いします」という回答が返ってきて、水曜日に提出する段取りで進め、火曜日に督促を受ける。
以前書いた『「~れる/られる」とカタカナ語の共通点』の記事にも書いたことだが、これは、日本語特有の語調を和らげたい、輪郭をぼかしたいがための「崩し」だと思っている。「~の感(観)がある」に通じる表現ということで、ほぼほぼ合ってると思う。
「ほぼほぼ」って何年か前の新語対象に選ばれたよね。ほぼほぼ完成してますってやつ。これの対義語なのかたまに「ドラドラ」ってのを耳にするのだけど、ドラフトのドラフトってことらしい。「資料、とりあえずドラドラでいいから明日見せて」みたいに。ドナドナみたいだ。うしうし。「たたき台」や「草案」と比べた場合、どっちがラフな出来なんだろう。仕事であんまり草案とは言わないけどさ。くさくさ。
何の話してるのかわからなくなった。そうだ、「世界線」という言葉を最近よく見かけるのが気になったんだ。「そういう世界線もあるのか」的に使われているのを見かけたことがある。使い方合ってる?(2回目)。
「温度感」「スケジュール感」に同じく最後の1字は無くてよさそうなのだけど、輪郭をぼかしたい意図があるわけではなさそう。輪郭をぼかしたいのだとしたら「線」って言葉を使うのも妙だ。「そんな世界もあるのか」と言ってしまうと自分の世界とは隔たりのある別の場所のようだけど、「線」を付けることで、自分の世界と陸続きであるを感じたいのだろうか。
あるいは「そうやって線を引いて世界に輪郭を与える理解もあるのか」という意味だろうか。言葉は、世界を区切るための道具だから。ああ、またいつものソシュールの話に結び付けてしまっている感があるな。その感がある。
どちらにしても、単に「世界」と言うよりはポジティブな印象だ。ちなみに由来を調べたら、原義は相対性理論云々と難しそうな説明が出てきたから見なかったことにした。わけあって、わかりすぎるのはよくないなと最近よく思っている。
Photo by Ben White on Unsplash
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