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記憶を結ぶ音

「○○様からお電話がありました。折り返しをお願いします」とチャットの伝言が来たときは、少し不安だった。先週ぼくがメールで送った質問に返信するのが、煩わしいと思われた気がしたからだ。

言葉を交わすのは七年ぶりだった。前の部署でお世話になった取引先の女性。税務と会計のエキスパートとして働く彼女は、その仕事を始めて間もなかったぼくに手取り足取り基礎を教えてくれた。毎日のようにメールや電話でやり取りがあり、取引先として気を遣ってくれているのを差し引いても、気兼ねなく相談させてもらえるのが素直にうれしかった。

先月から、とある仕事で袋小路に入っていた。過去から論点としては抱えており、いわゆるパンドラの箱と呼ばれている問題だった。事の成り行きで急ぎ方向性を決めなければいけなくなったのだが、どう進めようにも実務への影響が大きく、糸口すら見つからず途方に暮れていた。

そんなとき思い出したのが彼女だった。不躾を承知で袋小路の破片を文章に起こし、知恵を貸してもらえませんかと折入って相談のメールを送った。藁にもすがる思いだった。今日の午前中に電話をくれたようだったが、昼過ぎからミーティング続きだったため、折り返しをするのが夕方になってしまった。

電話越しの彼女は、当時と変わらず、丁寧な物腰が窺える穏やかな声をしていた。メールを返すのが煩わしかったのではないかと疑ったのが申し訳なくなるほど、彼女の方から懐かしい話をたくさんしてくれた。担当していた案件で一緒に頭を悩ませたこと、あの頃と同じようなトラブルが今も変わらず起きていること。何年も思い出したことすらなかった専門用語も、彼女と会話をしているとするする言葉になって出てくるのが不思議だった。

長い昔話はゆるやかに相談内容へと移り、彼女の説明に耳を傾けているうち、絡み合った糸が少しずつ解れていく感覚を覚えた。依然として答えは見えない。だが、五里霧中でも手を取ってくれる人がいるだけで足元は確かになる。相談四割、昔話六割の長電話をしていたら、時計の針は定時を回っていた。

彼女のサポートのおかげで、仕事はどうにか前進する取っ掛かりを得た。それだけでもありがたいのに、ぼくは、彼女の言葉からそれ以上のものをもらっていた。

「連絡をいただいて、うれしかったです」
「あのときは、ほんと大変でしたね」
「今度数年ぶりに勉強会をするので、よかったらいらっしゃいませんか」

本音と建前が入り混じるビジネスの場で、何をどこまで信じるかは人それぞれだ。社交辞令と見切った方が楽なときは多いし、どちらかといえば、下手に期待をかけるよりはドライにやり過ごした方がいいと思っている。

彼女の言葉は、そんな思いがよぎる余地もないほどに澄んでいた。部署は変わってしまったが、あの頃に培った知見が今の仕事にも活きていると伝えたときの彼女の声は、こちらが元気をもらえるくらい弾んでいた。束の間の会話が、切り離されていた長い年月を繋ぎ合わせたのだった。

記憶は月日が経つほど薄らぐけれど、重ねれば色を取り戻す。苦楽をともにした時間は、どれだけ過去へ遠のこうが、ぴたりと重なり響き渡る。

今日の彼女との短い会話は、たとえこの先また何年空白ができようとも、いつかの次を約束する結び目となった。ほんの僅かな間なのに、長く記憶にとどまるできごとだった。

いつだって呼び起こせるのに、重ねられず眠ったままの誰かとの記憶。もったいぶらずに臆せずに、迷ったら鳴らしてみたいと思った。記憶を結ぶ音は、いくつだって季節を超えてくれる。



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