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夏だから金麦を飲むのか、金麦を飲むから夏なのか

酔ってます。かなり。川沿いで。日差しが心地よい。誤字をしないのはスホのスマホのおかげで。す。暑い。まぶしい。

さっきコンビニで買った缶がよくなかった。ストロング缶でした。心ストロングでもないのにl買ってしまった。心ストロングてなに?

こないだ『暇と退屈の倫理学』を再読しました。国分さんの名著。お酒飲みながら読むと頭に入ってこないんだよね。当たり前なんだけど。でもお酒飲んでると飲みたくなる。、違う。読みたくなる。お酒飲みながら本を読むのが好きなのは、こないだ会社の人に伝えました。だからもうなんでもいい。

多くの人は非常に忙しく立ち働いているけれども、深く考えずに、単にそれができるからそうしているだけ。本当にしなければいけない大切なことを見つけようとするのではなく、単にできるからという理由でやっている。つまり、多くの人はじっくり考えることをせず、ただ「忙しくしていたいだけ。

真理すぎる。忙しくなんかないんです。ほんとは。やめたらいい。そしたらすぐひまになる。暇なのがいやだからなんかするだけ。適度な暇がほしい。でもそんなものはない。だからとりあえず暇じゃなくする。そしてまたすぐ忙しくなり、暇になる。

従うことは心地よいです。考えなくていいから。人は従いたがる。そこから導かれる「心地よい奴隷状態」への憧憬、そして「決断した者は決断された内容の奴隷になる」という結論をさっきの本で読みました。退屈から逃れるために、快適な状態になるために、人は決断をせずにはいられない。なのに、決断するとすぐにまたその結論を覆したくなる。我儘にも程がある。

暇ってかわいそう。「暇」はネガティブなのに、同じ意味の字が重なった「余暇」はめっちゃポジティブだから。

余暇、余生、剰余、余地。「余」って、余っている残っているって意味だけど、基本ポジティブな文脈で使われてる。余の力で暇が格上げされてるんだろうか。全然関係ないけど「余の力」ってなんか王様ぽい。そうか、「余」はえらいのか。そうなのか?吾輩は猫である。

考えないって、機械になることです。無意識です。習慣とも言える。

習慣を創造するとは、環境を単純化されたシグナルの体系に変換すること。考えることは大切だけど、人は本当は考えないで済む生活を目指して生きている。そうだよ。疲弊してしまうから。

だから、考えないで済むような習慣を創造し、環状のままに回っていく世界を欲しがる。人が生きていく中で考えなくなっていくのは必然。なのに考えたがる。そのグラデーションこそが、生きてるってことだと思います。意識を失ったら自分はいなくなるから。

考えない方が楽なのは、みんな知っている。ものを考えるとは、それまで自分の生を導いてくれていた習慣が多かれ少なかれ破壊される過程と切り離せないことなんだって。だとしたら考える人ってなんだろうな。考えたくないのに考えるって、なんだろう。

金麦はおいしい。とりあえずそうして新しい季節を迎える。この夏が暑ければいいなと思う。目が覚めるほどに。


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