「わかる」とはどういうことか
誰しも…
子供のころ「勉強しろ」と言われた経験があるだろう。
いつか役に立つから
やらなければ後悔するから・・・
腑に落ちない理由を散々聞かされたものだ。
私は最近”分かる”を増やすために勉強が必要だと感じている。
分からないって結構辛いから。
たとえば新しいサービスの実現方法を悩んでいるとして、尊敬している先輩から「そのサービスを実現するにはクラウドを使うといいよ」とアドバイスされたとする。
ほうほうクラウド?かー、とググったら
「ユーザーがインフラやソフトウェアを持たなくても、インターネットを通じて、サービスを必要な時に必要なぶんだけ利用する考え方」
と出てきた。
ここでこの横文字たちを知っていたならば
良いね!先輩ありがとう!っとなるだろうが
まずインフラが分からない人は
「インフラってなんだ?えーっと水道?電気?」となげき、グーグル検索が再開するだろう。
分からないことがなくなるまで検索を繰り返せばいつかは理解ができる。
だが、普通にストレスが半端ない。
時間は限られている。
こんなことしている時間はないと焦って途中で投げ出すかもしれない。
これは身近なことでも起こりうる。
好きな芸能人が読んでいる本の内容とか恋人が話している趣味の話とか、
分かりたいのに分からない経験はだれしもあると思う。
分からないってキツいのだ。
分からないって?
この分からないには二つの要因があると思う
①レベルが足りていない
②仕分けが出来ていない
自分の中で①×②ができることにより”分かる”ことが出来る。
レベルが足りていないとは
簡単に言えば、レベルは経験量のようなもの。
レベルによって目線が変わってくる。
学生の時、国語の教科書に「檸檬」というお話が載っていた。
正直、この話はほんとうに意味が分からなかった。
しかし、大人になってこれを読み返したとき
自分の経験の中に「えたいのしれない不吉な塊」や「檸檬」になりうるモノが浮かび、主人公に共感できるようになった。
経験によって見えなかったものが見えるようになったのである。
もやもやしていたことが腑に落ちるようになる。
これは自分のレベルがあがっているのだ。
物事か自分のレベル以下であれば理解することが出来る。
仕分けが出来ていないとは
わかることは「分ける」こと。
何かの広告でこの言葉を聞いた。私はこの言葉が大好きだ。
仕事柄、1日100近いメールをさばく必要がある。
ほっとけばテトリスのように次から次へと降ってきて受信トレイがパンクしてしまう。
様々な内容が混じっているため上からなめていくと混乱してしまう。
そこで、おそらく社会人はみんな無意識にやっているだろうが、案件ごとに逐一メールフォルダを作成して仕分けをしながら内容を読むようにしている。
これをすることでフォルダ内でストーリーがつながり、理解できる。
要するによく言う表現であれば引き出しを作ること。
引き出しがあれば
分けることができ、分かることが出来る。
引き出しは様々な分野に関わるなかで
自分の琴線に触れたときに作成されていく。
二つが掛け合わさった時が「わかる」
上記の二つを掛け合わせたマス目に
物事を入れることが出来たとき、「わかる」が発生する。
このレベルアップ作業、仕分け箱を作成する作業が「勉強」なのだ。
義務教育の勉強を頑張れば、
全国共通のレベルまでアップでき、全国共通の仕分けの箱を作ることが出来る。
そう考えるとお手頃なものだ。
自分のやりたいことを「分かる」には
そのやりたいことをやっている先人たちがもつ仕分けの箱を作成して、同じレベルに上げる必要がある。
それが何なのか?どんなレベルなのか?っということは簡単にはわからない。
そのために先人が出した本で情報収集したり
同じ会社に入って同じ経験をしたり
アドバイスをもらったりする必要がある。
ピンポイントにできないかもしれない。
その場合は遠回りしたり無駄なことを極めたりすることもある。
結局勉強って大変だし未来が確約されているわけではないからキツイですね。
”分かる”ために頑張りましょう…
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