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✩ 文学夜話 ✩ 創作について悩む度に読み返すリルケの言葉


創作をされている方の中には、売れるか分からないのに創作を続けるべきか、どのような方向で創作を進めるべきか、について悩んでいる方が多いのではないでしょうか。分野によって具体的な悩みは異なっても、どの分野でもそのような悩みを持っている方はいるのではないかと思います。

この記事では、そのような悩みに対して詩人ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke, 1875 - 1926)が残した言葉を紹介したいと思います。

それは、とある若い詩人が自分の詩をリルケに送って自分に才能があると思うかと聞いたことに対し、リルケが返した言葉です。厳密に言うと、リルケは詩作の悩みについて返事をしたのであり、他の創作活動について述べたわけではありませんが、私は詩だけでなく、小説や絵など、他の分野にも当てはまる話だと思います。

ではさっそく、若き詩人へのリルケの返信を引用してみましょう。

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「あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。前にはほかの人にお尋ねになった。あなたは雑誌に詩をお送りになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。(中略)そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる、だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと。深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。そしてもしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語、「私は書かなければならぬ」をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ちたてて下さい。(中略)そうしてこの内面への転向から、この自己の世界への沈潜から詩の幾行かが立ち現われてくる時、その時あなたはもはやそれがよい詩であるかどうかを、誰かに尋ねようなどとはお考えにならないでしょう。またあなたは雑誌のたぐいに向って、これらの労作に関心を抱かせようなどとは試みられることはないでしょう。なぜなら、あなたはその詩の中に、あなたの心ゆく自然な所有を、あなたの生命の一片、あなたの生命の声を見られるだろうからです。必然から生れる時に、芸術作品はよいのです。こういう起源のあり方の中にこそ、芸術作品に対する判断はあるのであって、それ以外の判断は存在しないのです。だから私があなたにお勧めできることはこれだけです、自らの内へおはいりなさい。そしてあなたの生命が湧き出てくるところの深い底をおさぐりなさい。その源泉にのみあなたは、あなたが創作せずにいられないかどうかの答えを見いだされるでしょう。(中略)決して外からくるかも知れない報酬のことを問題になさってはなりません。なぜなら、創造するものはそれ自身一つの世界でなくてはならず、自らのうちに、また自らが随順したところの自然のうちに、一切を見いださねばならないからです。」リルケ(高安国世訳)『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』 より引用。

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どうでしたか? 
以下では、このリルケの言葉について私が思ったことをお話しします(現在の日本で実践するとどういう活動になるのか、など)。

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