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引っ越しと、新・ルールの取り決め


引っ越すことになった。

実家を出たのが23の春で、そこから11年。「たまにゃん」という商店街のゆるキャラに招かれた豪徳寺の6畳アパートから始まり、三角地帯に惹かれて入居した三軒茶屋のマンション、同居人がシェルターから次々と犬猫を連れ帰ってくることから「ワンニャンハウス」と呼んでいたグリーンポイントのタウンハウス、そこから少し歩いたところにあるウィリアムズバーグのどえらいバブリーな高層ビル、しかし疫病で家計も打撃を受けて郊外に……と探した先にあったウェストニューヨークの低層集合住宅。でも結局、そこも1年で逃げるように出てきて都内の今の家に入居し、もうすぐで2年。

もっと細かく言えば、なかなかアメリカのビザが取得できなかった頃や隔離期間などに1ヶ月ほど住んだ束の間の家も各所にある。洒落た若者ばかりで銭湯帰りにすっぴんで歩くのが恥ずかしかった中目黒、美味しい店は沢山あるけど性産業の看板も多くて心が疲れた赤坂、隔離期間中に飲み暴れる人々の奇声が部屋に響き渡った道玄坂上、スカイツリーの下でなんでも揃った押上、のんびりとした、でも各所で喫煙者が多い上野……さらに世田谷の友人の家や姉の家にお世話になったり、大阪の千里の実家に出戻ったり。あと十和田湖の辺りにある宿、山梨の宿坊、ダブリンの民宿でも過ごした。

別にワーケーションが好きな訳でもないし、引っ越しが好きな訳でもない。こんなに住む場所を変えていたら貯まるべき金も貯まらないし、暮らしのリズムも整わない。そしてやっぱり、その家に合わせて設置した諸々を解体し、売ったり譲ったりするときは「こんなはずでは……」と都度落ち込む。


ただ同時に、引っ越しを経るとそれなりにスッキリする。要不要の選別をするから……ということもあるけれど、数年ごとに、自分が家に求める条件がまるで違ってくることにも気付かされる。どんな家に住みたいか、というのは「どんな自分で在りたいか」という今の欲に輪郭を与えたようなものだな、とも思う。心がフィットしない家に住み続けていくというのも、なかなかこう……ど根性大根のようになってくるし。

これはこれでカッコイイけど via https://maidonanews.jp


本当は京都に住みたかった。あちらには仕事もあるし、取材したい人も場所も沢山ある。けれども、パートナーの職場は東京。別居するという選択肢も考えたのだけれど、色んなことを調べていくと、どうにもなかなかややこしい(というのは後述)。

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