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日本の食器

日本の焼き物

■日本の焼き物の歴史
約1万年前に土器焼成(=粘土を形造り焼くこと)の土器が出土。
縄文土器と呼び、この純粋土器の時代が7000年以上も続く。
弥生時代、食糧生産が始まり、水稲農耕を主とした生産経済の時代になり、食器が登場、多くの調理をするためなどの土器がつくられた。

連休中に静岡県の登呂遺跡に訪れる機会があり、登呂博物館では出土された多くの機能的な道具、キッチンツール、調理器具としての土器、食器類などを見た。それらは、弥生人のものすごい知能の高さが感じられるものばかりで驚いた。
また、この時代に調理に塩が使われ始めた!

弥生時代の器など
食糧を貯めておく甕や
食材を調合したりする器など
様々な調理器具など
登呂博物館屋上からみた登呂遺跡


弥生時代に入り土師器(はじき)と呼ばれる土器がつくられていたが、朝鮮半島から窯を使って焼く須恵器(すえき)の技術が伝わり、のちに食器としての須恵器がつかわれるように。次に釉薬をかけた施釉陶が焼かれた。

12世紀頃、庶民の日用品は常滑(とこなめ)・美濃で焼かれていた。
当時流行した喫茶の茶碗として珍重された高級品の天目茶碗などは、唐物(中国の焼き物)と瀬戸の施釉陶など。
その後利休の「わび茶」の境地(精神的なものを尊ぶ)に合うとして好まれたのは、高麗茶碗。

17世紀に入り、幕府の政策のひとつとして、各藩に産物をつくらせる。
各藩は競って窯をつくり、「お国焼き」となる。
有田では、白磁鉱石が見つけられ、初めて磁器が焼かれる。

陶器のことを、近畿地方から東⇒「瀬戸もの」、西⇒「唐津もの」と呼んだ。
・瀬戸もの:中国の焼き方で土を手轆轤(てろくろ)でひねり、大窯と称するアナ窯で焼く。
・唐津もの:朝鮮の焼き方で、蹴轆轤(けろくろ)、登窯で焼く。
※現在は混然としている。

●日本六古窯(にほんろっこよう)【日本遺産2017年認定】
古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの産地
【越前】【瀬戸】【常滑】【信楽】【丹波】【備前】の総称

①越前焼(福井県越前町)
●特徴:無釉焼締で茶褐色の肌に流れる豪快な緑の自然釉
●色:土の色を生かし、薪の灰に因る自然釉色
●造り:壷、大瓶、水甕、柿、オブジェ、食器など
●平安末期に常滑焼の影響を受けた

②瀬戸焼(愛知県瀬戸市)
●特徴:陶磁器の代名詞、陶器と磁器
●色:古瀬戸=黒褐色、赤津焼七釉=黄瀬戸、古瀬戸、灰釉、鉄釉、織部、志野、御深井(おふけ)磁器の染付
●造り:あらゆる食器、日用雑器、茶陶
●六古窯の中で施釉に成功

③常滑焼(愛知県常滑市)
●特徴:焼締の土色、朱泥
●色:古常滑(焼締自然釉)、朱泥の赤、藻掛の黒褐色
●造り:土管、大瓶、大壷などの大物、朱泥急須
●六古窯の中で最古

④信楽焼(滋賀県甲賀市)
●特徴:無釉の焼締、土が特色で焼が明るい石はぜなどありシンプルな形
●色:窯変の焼締、海鼠釉(なまこゆう)の銀ねず色
●造り:下記、タヌキの置物、庭の椅子・テーブル、湯呑、皿などの食器
●瓦を焼くために開かれた窯

⑤丹波焼(兵庫県丹波篠山市)
●特徴:焼締に緑の自然釉、地肌が赤い、粉引き
●色:緑の自然釉、粉引き、墨流し
●造り:徳利、壷、花器、皿
●土は鉄分が多く、釉薬がかかりにくく地肌が赤い

⑥備前焼(岡山県備前市)
●特徴:釉薬を掛けない焼締の窯変
●色:緋欅(ひだすぎ)、桟切り(せんきり)、かぶせ、ぼた餅、ごま
●造り:すり鉢、水瓶、花器、徳利、ぐい呑、皿
●須恵器の流れを汲む


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