見出し画像

人前で喋るという場合があります。
何らかのテーマに基づくもの、主旨を補強する意味合いでお話しをする流れでそうした機会があります。
勿論、回数を重ねることによる慣れも‘話す’スキルアップに大いに役立っていると思われます。
テーマなり主旨がある場合は一定の起承転結のような構成を組み立てたりもしますが、実は普段からの問題意識、時事や社会的な風潮についての関心、それにまつわる解決意義への自分なりの価値判断が言葉の根拠の連なりみたく感じるのです。
結局、価値判断を単純な白か黒かの二元論で集約されると当然偏りが生まれ、対立図式は否めません。そこで日本的なのか、逆に欧米的なのか分かりませんが、所属と立場から自身の考え方が委ねられ、責任を団体に転嫁することに安心する層が非常に多いように受け止めています。
この自分で考えることを放棄する方向性は楽であり、ストレスを抱えずに済みやすい方法です。
こうした社会構造への問題意識を人や本や様々なツール、状況から情報を集積し理論立てをします。この連続性における表現手段が例えば映像であり、人前で伝える言葉であり、noteを使った文章と言えるのです。

最近、ふと書棚にあった、昨年お亡くなりになった映画プロデューサーの原正人さんの著書を読み直していた中で、大島渚監督が『戦場のメリークリスマス』を製作する為の資金集めに奔走していたくだりについての箇所で原さんを口説いた言葉が紹介されていた点が印象的で、
「人は50歳を過ぎたら、自分の事じゃなくて社会に貢献する仕事をしなければいけない」
と、その熱さにほだされてしまったとありました。原さんはこの作品の製作に関わった事で海外からの資金調達のノウハウと販路開拓のスキルを学べた事がその後の事業展開に大きく役立った点を挙げておられました。

突き詰めると話すという行為は伝えるための手段と考えると、せっかく話すのだから全てに意味をもたせる必要はないにせよ、無目的ではなく今自分がもちえる可能性について、いつでも楽しく語れる事があるはずだと…私はこの点、純度は高いのかもしれません。
合わせて、話すことに歳を経る毎に抵抗がなくなっていく感覚があります。大島監督の意味合いに近いものであるように、一日一生だと思って、話す機会は楽しむように心掛けています。

冒頭の花は事務所脇のコンクリートから
生えて咲いたフリージア…
恐らく種が風に舞って着陸。
松田聖子のヒット曲『旅立ちはフリージア』
のタイトルの意味を今に納得すると。

そして締めの写真は近所の「老の山」からの
この時季のどかな景色。
空気感が伝われば何よりです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?