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西川美和監督作品『すばらしき世界』を観賞しました。

いろいろな感情が交錯しながら、他人事にできない何かが自分の中に沸いてくるような、まさしく日本映画の系譜にある傑作である事を強く感じました。
増村保造、野村芳太郎、今村昌平、そうした名匠の息吹に触れる思いがしたのです。

内容や詳細にまつわる点には敢えて触れずに、私的本作品論に繋げていきたいと思います。

佐木隆三の小説『身分帳』を原案にしたオリジナル作品ですが、その構築していくまでの緻密な準備に裏打ちされているのは言うに及ばずとしても、いつも西川監督の作品で思う女性目線で描くリアリズムへの興味に惹かれてしまいます。

ふと、希代の作詞家・松本隆とその申し子である永遠のアイドル・松田聖子の十年以上前の対談番組を思い出したのですが、
「なぜ松本先生は女の子の気持ちがそんなに分かるのですか」松田聖子からの問いかけに、
「感情って男性・女性共通だと思っていて、ボクは人間を描いているんだよね」
松本隆の答えにはある種の普遍性、現代的にはジェンダーとも捉えられる点でも、当時唸った記憶があります。

その点で男性から見た女性目線、女性から見た男性目線の差違について興味深く考えるのです。
そうした類いにおいて、リアリズムでありながら、何滴かのロマンティシズムが混入していると私は良質な創作群からは共通に感じます。
実はその部分にクリエイティヴィティの魅力的要素、作家性とセンスを見る思いがします。
‘こうあって欲しい’という願いを形にする事は、リアリズムを題材にする媒体には諸刃の剣でもあります。この主眼をイヤらしくなく尚且つセンスに落とし込むのは至難の技なのです。
ポピュラリティに完全に針が触れるものには、臆面もなくという堂々としたスタイルがあるのかもしれませんが、それはもはやバラエティだと言って良いでしょう。

異性が異性をテーマに描く創作物。
これは優位性とは異なり、そこはかとない心情の吐露を垣間見ることができると解釈できるようにも捉えています。
これまでの往々にして‘べき’や‘べし’で語られることが多かった社会風土に根付いた有り様とは異なり、
私には‘いたわり’という性差があるからこそ尊重すべき思いを特に西川作品から感じるのです。
‘許し’という意味にも通じるものでしょう。

社会で生きていくとは、ある意味エゴイズムのぶつかり合いに他ならず賢明な判断がはたらく人は、自己主張は控えて多数の論理に従うことで波風を立たせないことで由とします。
波風を立たせないことが正義なのか、倫理的正論を貫き通すことのみが正義なのか、自分を納得させる意思がはたらく以上、何においてもエゴによる心の葛藤は少なからず精神衛生上影響はないとは言い切れないのが現実なのです。
つまり、格好良く生きてる人間なんかいない。この前提に人物を描くことでの共感が生まれてきます。
西川監督作品の登場人物が不思議と魅力的なのはそのせいだと感じます。

情けなさ、みっともなさ、恥ずかしさ、同じ轍を踏む愚かさ…全部、これまで我々には起こし得たものに違いないのですが、無かったことにして生きている、これが人間社会そのものにも関わらず、不平等・不公平に怒りが収まらない感情露な人たちの心は、また何かでもって上書きされて、偽りの平常心を保っていく。これが許される、許していける寛大さが素晴らしき世界なのかは、結局自分の心の問題なのだと、映画という媒体はそこまで饒舌では勿論ないのですが、今一番大切なこと、それは他者への関心だと私には思えてなりませんでした。

もっと映画を観たい。観たくなる。
また自分の中に創造の灯が灯った西川美和監督最新作『すばらしき世界』でした。

今年2月の突如来襲したベランダからの雪景色。
最近の天気予報の的中率は高いです。

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