ドナルド・サザーランド、百の顔
物心がついた頃、ドナルド・サザーランドはすでに見慣れた顔だった。鋭く光る眼。白髪交じりのたてがみ。一度見たら忘れない容姿だ。トロント映画祭の引用によれば、若い頃『近所に住んでいる人には到底見えない』ために隣人役のオーディションで落とされたという顔。
その顔は多くの映画ファンを怖がらせた。画面に映るなり悪役だと決めつけて、クライマックスで正体を現すと拍手喝采した覚えがあるのは私だけではないだろう。でも恐怖の根源は善悪とは関係なく、経験に基づいた知性や、権威を感じさせる立ち振る舞い、何にも動じない精神力といったものだったと思う。
どんな役を演じているときでも才智を感じる人だった。それは名脇役とか、ベテランといった言葉では表わせない。
ニューブランズウィック州に生まれたサザーランドはトロント大学で演劇を学びながら大学内の劇場ハート・ハウスで経験を積んだ。1957年には、同劇場の『テンペスト』で飲んだくれの執事ステファノーを演じて好評価を得ている。
その後イギリスに渡って舞台に立っているとき、たくさんの役を演じ分けているところを見た映画製作者と監督の二人組に声をかけられ、週給五十ドルでホラー映画に出てみないかと誘われる。
こうしてクリストファー・リー主演のゴシック・ホラー『生ける屍の城』で銀幕デビューすることになり、若い兵士と老魔女を兼役した。恐ろしい物語とはいえ、すらりとした兵士が腰の曲がった魔女を助け起こす場面は思わず笑顔になってしまう。
公開時は別名義であったが監督の本名はウォーレン・キーファーといって、サザーランド曰く、煙草とウイスキーとミステリーを愛するならず者であった。少ない予算での撮影は困難を極めたものの友情が一番の収益だったとキーファーが言っているように、本作をきっかけにして風変りな二人の親交は続いた。後に生まれた長男がキーファーと名付けられたことは有名だ。
『赤い影』や『SF/ボディ・スナッチャー』といったスリラーでは得体の知れない敵と戦う姿に胸を打たれ、『普通の人々』や『評決のとき』では隠した本心を絞り出す演技に魅了された。
カナダ映画においては、穏やかな医師を演じた『Threshold』や殺し屋が命を狙われる『殺しに愛のバラードを』での控えめな演技も好きだ。
『戦略大作戦』や『M★A★S★H マッシュ』といった戦争物では反骨精神を貫いていた彼が、近年では『ハンガー・ゲーム』シリーズの大統領役で若者に反旗を翻されていたのも面白かった。
訃報が報道された六月、通りかかった映画館のマーキー(看板)に追悼文が添えてあった。初見は怖いけれども、見る角度によって違った色を放つ水晶のように人間のあらゆる表情を見せてくれたドナルド・サザーランドの顔。それは多くの人に愛され、多くの魂を燃やしていく映画の象徴だ。