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歌舞伎zakzak-11 あわや人類リセットの危機! 『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』


introduction

『マハーバーラタ』とはヒンドゥー教の聖典のひとつで、世界三大叙事詩のひとつにも数えられている長大な物語です。「マハー」は「偉大な」で、「バラタ」は「バラタ族」の意味で、物語はバラタ族を中心とした神話的活劇ですが、その中に当時の哲学や宗教、伝承が組み込まれていて、さながら古代インド文化の万華鏡を覗くかのようです。
それが歌舞伎化され「インド」「日本」ふたつの伝統文化がぶつかった時どんな化学反応を示すかが見所ですが、物語の底にあるテーマが浮きぼりになってその現代にも通じる普遍性に感動させられます。

実際にガンジス川で撮影されたポスター

『極付印度伝(きわめつけいんどでん)マハーバーラタ戦記』
2023年11月2日〜25日 歌舞伎座
吉例顔見世大歌舞伎

昼の部
「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」
青木豪:脚本 
宮城聰:演出

迦楼奈(カルナ):尾上菊之助
阿龍樹雷(アルジュラ)王子:中村隼人
太陽神:坂東彌十郎
帝釈天:坂東彦三郎
汲手(クンテイ)姫:中村米吉
鶴妖朶(ズルヨウダ)王女:中村芝のぶ
那羅延天(ナラエンテン):尾上菊五郎

(平成29年の初演の好評をうけての再演)

STORY

天上に居並ぶ神々達が、戦争を始めようとしている人間達を見下ろしている。那羅延天が「この世の終わりが始まる」と告げると、梵天は「人間世界は一度滅びて、また再生すれば良い」と語る。
そこに現れた太陽神は「人間にも滅ぼすには惜しい者もいる」と、「私が汲手姫に慈愛に満ちた子を生ませて、その子に争いを止めさせる」と提案する。
さらに軍神(いくさがみ)である帝釈天が現れ「力の強い者が支配しなければ治まらぬ」と自分も汲手姫に武勇優れた子を生ませて争いを止めると語る。
那羅延天は、まず太陽神を、そして帝釈天を地上におくり、結果を試みることにした。
さて16年後、太陽神の子は迦楼奈(カルナ)、帝釈天の子は阿龍樹雷(アルジュラ)として二人とも弓の名手として育ったが、母を同じくする二人はいがみ合う両陣営に別れて戦う運命となる。

深いテーマにスペクタクルもあり、かなり満点に近い充実度

あまりにもタイムリーな!

序幕の、舞台に居並ぶ神様たちの黄金の衣装にまずは圧倒されますが、それよりも人間界を見下ろす那羅延天の「この世の終わりが始まる」という科白にドキリ。戦争や紛争の情報がどんどん耳に入ってくる日常生活が当たり前になっている昨今です。そして、続く梵天の「滅ぼすがよかろう、我はまた新たな命を生みださん」と人間界をリセットの言葉がさらに胸を突く。
居並ぶ神様たちが、人間たちを持ち駒として動かすゲームプレイヤーに見えてくる。

あまりにも耳に心地よい!

舞台上手から聞こえてきた音楽に、心引き寄せられる。
インドネシアのガムランが始まったのかと思ったが、打楽器を中心とした楽器はジャンベやスチールパン、木琴や鉄琴といったシロフォンなどいろんな文化圏から集められた小楽団。アジアの神秘的な雰囲気から緊迫感まで多彩な表現が効果的に使われる。
もちろん義太夫などの歌舞伎音楽も幕によって使われていて、それらとの競演も楽しい。

あまりにも人間的なキャラ!

神話や寓話のキャラクターは単純な「善人」と「悪人」とかのステレオタイプであることが多いかと思います。ましてや紀元前から書かれていた物語ですから、その先入観はなおさらでしたが、この舞台を見て意外でした。主人公の迦楼奈も自分の生き方に最後までとまどいを覚え、この話では憎まれ役の女王鶴妖朶も、時として迦楼奈に対しては意外な本心を告白する。
「どうしたらそなたのように真っ直ぐに生きられるものか」
「わらわはずっと一人だった〜。もっと早く迦楼奈と出会っていれば気高く生きることができたかもしれぬ」

あまりにも哲学的な!

久理修那(クリシュナ)が阿龍樹雷に語る「そなたの中にある「我」を見つめよ。我は終ることなく続く。我は万物の始まりであり、そして終わりでもある」(デカルトですか?)「我は生まれることもなく、ゆえに死の訪れもなし。我は世界の全体なり。我は世界の一粒なり」
太陽神「物に対して執着心がるから争いが生まれる。領土が欲しい、豊かになりたい、名を残したい。争いのもとはいつも執着心だ」
数百年以上前のお話とは思えない!恐るべきインド哲学!

あまりにもエンターテイメント!

「戦争と平和」「人間の生き方」という深いテーマを持ちながらも、そこは歌舞伎というエンターテイメント、活劇として舞台面は楽しませてくれる。
屏風式の背景画に陰影があり立体感が効果的。時に折られたりして場面に変化をつける。民衆の踊りは歌舞伎衣装のままだが、戦場の甲冑の見事なデザインが、登場人物たちを引き立てる。
極め付きは馬車競技のシーンの躍動感。舞台上を競技場かのように2台の馬が引く戦車が駆け回る。こんな場面が舞台上で見られると思わなかったが(馬の足の人の大変さが偲ばれる)、それに続く大詰めの迦楼奈と阿龍樹雷、最後に兄弟の名乗りを上げる二人の「対決の後の融和」が大きな物語の終幕として感動的。
数ある新作歌舞伎の中でも物語の深さ、エンターテイメント性ともに充実した舞台になった。

11月は例年顔見世興行で賑々しい

歌舞伎座
https://www.kabuki-za.co.jp

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