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塾の先生による映画史

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見ていなくても、知らなくてもわかる映画史です。
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#ジョルジュ・メリエス

映画が第七芸術になる時代(1)余談:世界初に疑問符

映画が第七芸術になる時代(1)余談:世界初に疑問符

映画のスタジオはメリエスのが最初という話を書きましたが、これもまた簡単にひっくり返すことの出来る話なんです。

そもそも初期の映画フィルムは撮影にかなりの光量が必要でした。なので、撮影には基本は強力な照明が欠かせませんでした。従来の劇場でも照明はありますが、撮影には貧弱すぎる上に、太陽光という無料の光源を利用出来ないので、新たに映画撮影用の空間が求められたのです。

スタジオの条件は3つ。撮影機材

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映画が第七芸術になる時代(1):奇術師の編集トリック

映画が第七芸術になる時代(1):奇術師の編集トリック

第2章はフランスのお話です。

映画といえばハリウッドという印象が強いですが、初期はヨーロッパ、特にフランス映画が世界的に人気を博していました。

さすが芸術の都パリ!

といいたいところですが、登場した当初は映画の地位は低く、縁日やサーカスの見世物にしかすぎなかったのです。奇術師メリエスが目をつけたのも、このような文脈からすると納得いきますね。

前にも登場したメリエスですが、色々と発明した重要

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映画の起源(5):エジソンの悪知恵と嫉妬

映画の起源(5):エジソンの悪知恵と嫉妬

エジソンと映画の2回目です。前回は、エジソンが撮影所で映画を作っていたという話でした。

この発明王は意外とビジネスマンでして、、スタジオで様々な映画を製作する一方で、ワンコイン(25セント)を入れればのぞき穴から映像が見れる箱型マシーンを作り、1894年4月14日にニューヨークのブロードウェー1115番地に設置しました。このキネトスコープ館はたちまち大反響を呼びました。

そして満を持して、キネ

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映画の起源(3):奇術師と映画の出会い

映画の起源(3):奇術師と映画の出会い

1895年12月28日のリュミエール兄弟の上映会の観客のなかに、ひとりの若い奇術師がいました。ジョルジュ・メリエスです。彼は34歳という若さで、自分の劇場をもち、機械なども導入したショーで人気を博していました。上映の後、彼はリュミエール兄弟に映画の装置を購入したいと頼みましたが、断られてしまいます。

しかし、機械いじりに長けていたメリエスは、独自に同じような装置を作り出し、翌年の4月には自身の劇

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