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自由に生きるということ、仕事編。

先日、オンラインで販売した商品に不備がありクレームをもらった。
昨年から雑貨屋さんをやっていて、クレームらしいクレームをもらうのは初めてだったので心臓がドキドキした。


会社員時代に羽田空港の雑貨店で長いこと勤務していたので対処には困らなかったのと、
幸い購入してくれた方がとても温かい方だったので、円満に終わらせることができた。
普段使わない神経をフル稼動したので、無事にやりとりを終えた時には心底ホッとした。


きちんと謝るのって、勇気がいることなんだなぁ。


会社で働いていた頃はクレーム処理なんて日常茶飯事で、先輩社員のご機嫌を取るよりも、プンプンしてるお客さんと接する方が楽だった(感覚マヒ?笑)。
でも今思えばそれは、心のどこかで誰かに責任転嫁できたから簡単にこなせたことだった。
「会社」だったり「メーカーさん」だったり「他のスタッフ」だったり。


だから、何の後ろ盾もなく100%自分に非があることを認めて「ごめんなさい」を言うには、身体中の勇気をかき集めなきゃなかった。
なんだかんだと文句を言いながらも最終的には会社という存在に守られていたんだなぁと、今更ながら「お世話になりました。」という気持ちが湧いてくる。

今まで考えたことがなかったけれど、世の中でフリーでお仕事してる人や、自分で看板を掲げている人たちは基本的に自由な生活をしている一方で、
良い評価はもちろんだけど、悪い評価も100%自分に向けられることを覚悟で仕事を続けているわけで、
そのドキドキを日々くぐり抜けながら生きてるんだなぁと思うと、
周りの友達や世の中の「社長さん」の背中が急に大きくたくましく感じられる。


仕事に限らず、自分の足で立って生きてる人って魅力的だ。


本来、人が一人ができることなんてそう多くない。
会社員の頃は自分のことよりも会社のルールを優先することが当たり前だと思っていた。
でもそうしたみんなの必要以上の頑張りが、もしかしたら社会を窮屈なものにしてしまっているのかもしれない。


一人で仕事をやっていると、一日って24時間しかないのかぁとか、腕があと2本生えてこないかなぁって思う時もある。
でも、この世のあらゆる人に気に入られる必要はないし、できないことは「できません」って言ってしまっていい。
ようやくそう割り切れるようになってきて、ずいぶんと肩の力が抜けた。
何か見落としてしまっても、誠意を持って「ごめんなさい」って言えたら、相手はそれ以上怒ったりはしないんだなともわかった。


自由に生きるって、案外タイヘン。
でも今私の口から出る「ごめんなさい」も、気持ちを込めて提供したものに対してお金をいただけた時の「ありがとう」も、お腹にグッと力を込めた100%ホンモノの言葉だ。
それってやっぱり、気持ちがいい。
完璧を目指して生きるよりも、等身大で正直な自分でいたい。


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仙台で長年カフェをやっている友人(これから東京進出!)の接客に関する記事も面白かったです。これは有料だけど、無料の記事もたくさんあります。カフェ屋さんから見る世界を垣間見ることができます。

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Photo @ 木崎湖、長野

松本のブックカフェ「栞日」さん主催のAlps Book Campの空。湖のほとりにお洒落な作家さんやごはん屋さんが並び、自然好きなお客さんが集うのんびりした信州らしい夏のイベント。

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